今日も旅天気
 
アジア大好き。共産党は大嫌い。
 



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中国人とネパール人どちらが貧しいか3

 思い出した。
 中国を旅行始めたころ、もう20年以上も前の話だが、場所は思い出せない。
 オレとの女房が散歩していると、袋が破れて道にオレンジを転がしたおばさんがいた。なだらかな坂道だったが数個がこちらに向かって転がってきた。なにげなく拾ったら何やらおばさんがが叫んでいる、怒鳴っている。何といっているのかわからないが、口調から拾ってくれとオレに頼んでいるのではではなさそう。表情も怖そうだ。オレが何をしたんだ。そんなに睨むなよ。
 こわごわ拾ったオレンジを彼女に渡すと表情が一変した。ニコニコしている。一変した優しい音色で話しかけてくる。
 やっぱりこんな状況下ではたいていの中国人は拾って自分の物にするんだな。でもあれから時間が過ぎた。願わくば中国人が変わっていますように。



2010年7月31日(土)02:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

馬馬虎虎

中国人の性格はとにかく大雑把だ。中国ではそれを馬馬虎虎(マーマーフーフー)と言う。
 ある日、水道の配管に小さな穴が開いたので、大家に頼んで修理工を呼んでもらった。修理人は手ぶらで来た(これも信じられないけど)。水の漏る配管を見た彼は、テープは無いかと言う。ガムテープを貸してやるとそれを配管に巻きつけて終わり。オレは当然それを応急処置だと思い、次はいつ来るのだ、と聞いた。配管にも種類があるだろうから取り寄せるのに時間がかかるかもしれない。 
 ところが彼が不審な顔で、終わったと言う。おいおい、ガムテープを巻くぐらい誰でもできるぞ。まして我が家のテープじゃないか。大家は10元払ったらしい。当時の物価の感覚では千円くらいだろうか。払わんでかまわんと思うぞ。
 一時が万事である。私らの借りていた部屋はけっこうきれいな壁紙を張っていた。日本なら同じ方向から、つまり全ての壁紙を上から下に向かって張る。模様の方向があるからだ。ところがその壁紙は上から下、下から上、また上から下に張ってあり、当然模様は合っていない。日本じゃ金もらえんぞ。
 電気工事のときも壁紙を剥がして、そのまま。学校から帰ってきたら壁紙は大きく垂れ下がっていた。大家が監督したのだから文句を言えよ。




2010年7月31日(土)01:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

中国とネパールどちらが貧しいか2

1の話を日本人留学生にしたら、彼女もふと入った映画館で似た経験をしたと言う。その映画はどこの国制作かはよくわからなかったらしい。出演者に白人が多いので欧米のどこかだろうとのこと。最後の場面で主人公の男性が死んだ恋人を抱きながら道を歩いていく、そこで終わり。我々が普通に思うに悲しい結末だ、もちろん彼女はそう思ったらしい。ところが、まわりの中国人が大爆笑しているではないか。彼女には理解できなかった。
「私は中国の人、絶対に理解できないと思う」
 こんな国はない。絶対中国以外はありえない。
 もう一つ、ネパールでの話。首都カトマンズでオレは女房と市内バスを待っていた。時刻は夕刻、勤め帰りの立派な身なりをした人達も多くバスを待っていた。それを目当てにした屋台、といっても道にビニールのシートを広げ、その上にも商品を並べているだけの簡単なもの。実はこれは違法営業のようだ。
違法だから警察の取締りがある。その日、偶然それを目撃した。屋台を不法営業しているネパール人はとっさにビニール布の四隅を握り、抱えあげるようにして逃げた。かなり慌てていたのだろう。商品(ボールペンやノート等)を撒き散らしながら。そのとき周りに立っていた勤め帰りの男女がその落し物をさっと拾って自分の鞄に入れたのである。さあ、どうなるのか。興味津々である。バスに乗らずに結果を見よう。30分ほどして商人が戻ってきた。警察から無事逃げ切ったのか、罰金をとられたのかそれは彼の表情からもわからない。するとさきほど鞄に商品を隠した人たちが鞄から取り出し、何かを言いながら渡している。たぶん「大丈夫だったか」とでも言っているのだろう。彼らは商品を警察に没収されないように隠し、商人が帰ってくるまでバスに乗らず待っていたのだ。やさしい人たちである。
 所変わって中国は昆明で見た光景。中国でまともな仕事に就こうと思ったら保証金が必要だ。商店の販売員、ホテルの服務員等お金を扱う仕事は保証金を入れなければ雇ってくれない場合が多い。貧乏人にはチャンスの無い社会なわけだ。それで農村から出てきた金のない若者ができるのは男は建設作業員、かやくざ。女性は天秤棒を担いでの物売りか水商売となってしまう。誰でもやりたくて担ぎ売りをしているわけではない。生きるため食うためだ。ちゃんとした店舗で商売をしたほうが楽に決まっている。雨の日も、寒さに凍える日もあるのだから。
その女性は十代後半くらいの年齢だろうか。田舎から出てきたのか真っ赤なほっぺをし、垢抜けない服装で落花生を売っていた。そこに公安官がやって来た。突然のことで彼女は逃げることができなかった。非道なことに公安官は落花生の入った籠を蹴飛ばした。道いっぱいに転がる落花生。突然のことに女の子は呆然とし、やがてしくしく泣き出した。近くを歩いていた中国人民達は落花生を拾ってニコニコしながらポケットに入れた。そしてそのまま歩き去ってしまった。中国では道に落ちているものは拾った者に権利があるのだろうか。そんなことは無いと思うが。



2010年7月31日(土)01:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

中国とネパールどちらが貧しいか1

 こんなことがあった。
 場所はネパール。私の父がバスから降りるときに、バスが止まった場所が悪く、ステップのすぐ下に溝があったために転倒、顔を少し切った。すぐに周りのネパール人が心配そうな顔で近づいてきて、「大丈夫か」と聞きながらちり紙を渡してくれる者、ミネラルウオーターを渡して顔を洗えと言ってくれる者。タクシーを呼ぼうか、等等、心配そうな顔で集まってくれた。幸運にも傷はたいしたことが無く、頭も打たなかったので「ありがとう、だいじょうぶだから」とネパール人たちに告げ、手を振ってその場を離れた。
 中国ではオレ自身が経験した。昆明から瑞麗という町まで寝台バスで移動したとき、途中のガススタンドでトイレ休憩があった。寝台バスだったので靴は脱いで横になっていた私はいい加減に靴をつっかけながら外に出た。トイレは男女兼用だった。女性客で満杯だ。男に生まれてよかった、少し広い溝を飛び越えた所で用を足そうと思った。それ、っと飛んだ時にいい加減につっかけていた靴がすべり、私は深さが1メートルほどの溝に落下した。下半身は泥だらけ。落ちたときにあちこち打って一部出血している。ショックで溝の中でしばらく横たわっていた。幸い水はかなりきれいだった。
しかしけがの痛みより驚いたのはバスの乗客や他の車の中国人が手を打って大喜びしていること。笑いながらこちらを指差している中国人も数人。ニヤニヤしているというレベルではない。皆、大爆笑だ。
これが一般の中国人の姿である。
さてどちらの国民が豊かだろうか。



2010年7月30日(金)02:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

メキシコは楽しかった

オレがメキシコに行ったのはもう25年も前。1985年、メキシコ大地震のあった年、この年はタイガースが優勝、日航機墜落、夏目雅子、タコ八郎死去、色々ありました。
メキシコに行く前に知り合ったアメリカ人に「メキシコに行くんだぜ」と言うと「やめとけ、良くない国だ」と。
行ってみなければわからない、と中古車を運転してでメキシコ進入、知っている人も多いと思うがメキシコは国境沿いはアメリカからは自由にいけるフリーエリアがある。テファナ等が有名ですな。第二国境から向こうは簡単に車で入ることはできない。書類不備(その車の名義所有人が先に日本に帰ってしまった。車自体は共同で購入)であちらこちらの第二国境件検問所ではねられ、ある検問所で奇跡が起こった。書類を作成してもらったのだ。
それから2ヶ月のメキシコの旅はたいそう楽しゅうございました。その話はまた次回。酔っぱらってキーボード入力がミスだらけ。ここまで打つのに30分位かかってしまったよ。

B19 地球の歩き方 メキシコ 2009‾2010 (地球の歩き方)




2010年7月26日(月)23:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

中国馬鹿ニュース

 「各家庭は、墓を緑のペンキで塗ること。あるいは緑の布で覆ってもよい。従わない場合、墓を取り壊す」――。雲南省昆明市郊外にある農村地帯の宜良県一帯で、こんな命令が出た。わけの分からない行政命令に、多くの中国メディアも注目した。チャイナネットが報じた。

  7月になり、村の街路に設置されたスピーカー突然、「墓を緑に塗れ」との命令を放送しはじめた。住民のひとりは「60年以上も生きてきたが、こんな奇妙なことは初めだ」と憤慨する。しかし、従わないわけにいかず、多くの住民が自家の墓を緑のペンキで塗った。

  対象になったのは、道路両脇の山に点在する墓。一部住民が役所に問い合わせたところ、「上級幹部の命令。山は緑でなければならない。白い墓石があちらこちらにあると、見苦しいから」との回答だったという。

-------引用ここまで--------

特にコメントはありません。雲南省は相変わらず田舎です。下の田七は高いですね。現地ではもっと安いよ。悪い物ではないけどね。





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2010年7月23日(金)01:25 | トラックバック(1) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

中国は厳しい

オレが中国に居たときに見たのは、こそ泥を捕まえた公安がそのこそ泥を手錠で電柱に縛り30分ほど放置。その間一般庶民がこそ泥を殴ったり蹴ったり、つばを吐きかけたり、だんだんエスカレートしてきて棒で叩く奴も。半殺しになったこそ泥を公安官は引きずって車に乗せ、どこかに連れて行きました。




2010年7月23日(金)01:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

テントの外で

ヨセミテ渓谷も秋になると熊を見る機会が増えてくる。熊達は冬眠の為の栄養をつけるため、少しでも栄養のある物をも探しあちらこちらうろうろする。
時には昼間からキャンプ場をうろうろする。クライミングに行っていたら会わないけどね。
その日の夕食はに肉じゃがだった。友人のTはそこに卵を入れ、すき焼きです、と旨そうに食っていた。その卵、すぐにゴミ箱(鉄製のコンテナのような大型のゴミ箱、熊に荒らされようにゴミの投入口は狭く、鉄製の蓋付き)に入れたらいいのに、テントの横に放り出していた。まあこれも規則違反だけど。
夜、いい気持ち寝むり込んでいる我がテントの横、Tのテントから「おい」「おい」声はどんどん大きくなった(と思う)。
目ざめ、「どうした」と聞くと、「オレのテントの外に何か居る」
確かに何かを囓っている音がする
「熊かも、見てくれ」
オレのテントとTのテントは2メートルと離れていない。
「やだよ」とオレ。
「頼む、恩に着るから」
しぶしぶのぞいたら、それは熊は熊でも洗い熊。
Tに伝えると、突然元気になり、テントから飛び出て洗い熊を追い回しておりました。
教訓、ルールは守りましょう。

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2010年7月22日(木)03:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | あれこれ | 管理

熊に会った話

昔、オレはクライマーだった。高い所が怖い、ダイエットのできないへたれクライマーだが。そんなオレだが妙に行動力だけはあったようで、突然、当時クライマーの聖地であるヨセミテに行くことになった。まあ現地でもへたれで岩を登るよりビールを飲んでいる方がいいや、と日々ビール腹を育てていた。
ある日、ビールが無くなったので夜9時まで開いてるスーパーでビールを仕入れ、しかしテント場に着くまで待ちきれずにビール(ミラーが好きだった)を飲みながら歩いていると直径が2メートルもある北米松(正式な名前は知らない。杉や檜のように真っ直ぐな松で、松葉がなぜか三又)に真っ黒な動物がぶら下がっている。高さは3メートルくらい。
おお、あれは何だ、と近づくとどうやら熊のようだ。ヨセミテでは灰色熊(グリズリー)は絶滅しているので、黒熊のようだ。日本のツキノワグマに近い種類。でも体重は100キロ位ある猛獣なので襲われたら人間なんてひとたまりもない。
しかし、酔っている人間は怖さを知らない。すぐ近くで熊を見続けていると、「何をしてる」と聞いてくる白人さん達(そのキャンプはほぼ95%は白人だった、そしてほぼ100%命知らずのクライマーだ)、指さすと、皆一瞬ぎょっとした顔をするのだが、強がって「ああ、熊か」と近寄っていく。そんなこんなで50人近い人が集まってわいわいとなった。
熊も災難だ。さすがにびびったようで木のもっと高い所に登ろうと動き出した。たぶん焦ったのだろう、滑って木の根元に落ちてきた。ドスンとね。
周りに集まっていた自称命知らずのクライマー達は蜘蛛の子を散らすように逃げまとった。
熊もパニックになり、大きな音を立てながらもう一度ツリークライミング。今回は成功してかなり高い枝にぶら下がることができた。
それを確認した命知らず達は苦笑いをしながら、言い訳をしながらまた根元に集まってきた。きっと「クライミングで死ぬのは本望だが、熊に襲われて死ぬのはかんべん」とでも言っているのだろう。
その後、レインジャーのけっこう可愛い女性が来て、我々を追い払いまいした。

U.S.A.ナショナルパークハイキング案内




2010年7月22日(木)01:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

韓国人が作る日本料理

中国雲南省麗江に「さくら」という名のカフェがある。今ではあちらこちらに進出し、「さくらグループ」となっている。たいしたものである。あちらこちらにお金をばらまいたのだろうなあ。公安とか市政府とか。
そのカフェができたのは95年頃だったと思う。「さくら」という名前だが経営者は中国人の夫と韓国人の妻。でも「さくら」としたので一応日本料理を出す、いや出さねばならんだろう。
店が開いて間もない頃、友人がコロッケを頼むと出てきたのはお好み焼き、それもキャベツが入っていないチジミのような一品。文句も言わず食べたのは次に来たときメニューにあるお好み焼きを頼んでみようと思ったから。数日後、わくわくしながら「さくら」に行きお好み焼きを頼んだら見事にコロッケが出てきたそうだ。
ちなみにその経営者夫婦は日本が嫌いです。オレは面と向かって言われました。

世界遺産と地域振興―中国雲南省・麗江にくらす




2010年7月22日(木)00:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 料理 | 管理

中国では普通のことですが

 数カ月前の話だが、中国人の友人の母親が自宅で夕食中に倒れ、救急車で北京市内の病院に運ばれ、緊急手術することになった。

 その病院は「前金制」に徹しており、注射や点滴を受ける際、友人はまず医者からもらった伝票を持って会計窓口に走らなければならず、「支払い済み」のハンコがないと医師は絶対に薬を使わなかったという。

 手術は成功し母親は順調に回復しているが、「あの日、現金を持っていなかったら病院は何もしてくれなかっただろう」と話す友人には、病院に不満はあっても感謝の気持ちはない。

 病院側にも言い分はあった。せっかく治療を施した病人が病室から夜逃げし、手術代と薬代を回収できないケースが全国で多発しており、その対策だという。

 中国では医療保険制度が不完全で、農村からの出稼ぎ労働者たちは、ちょっとした手術でも自分の年収を超えてしまうような医療費を支払えないのが実態だ。病院の「前金制」は、経済的に恵まれない人たちから治療を受ける権利を奪う残酷なやり方とも言える。

 以前取材した20歳前後の湖南省出身の農民工から、「小さな病気なら仕事を休んで寝て治すが、大きな病気になったら運命だと思ってあきらめる」と、当然のように言われてショックを受けたことがあった。

 北京五輪や上海万博など世界の注目を集める華やかなイベントが開かれる一方、病気を治すという基本的な人権も保障されていない弱者が多くいる。それが今日の中国だ。(矢板明夫)

サンケイ外信コラムより引用---------

この記者は中国で医者に行ったこと無いのかな。ああ腐っても日本の新聞社だ、指定の病院では後払いで治療してくれるのだろう。
中国ではほとんどが前払いです。病院だけでなく、月極新聞や牛乳、商売でも現金取引が基本。政府ですら手形不当たり平気です。
医者が外国人だから後払いでもいい、となることはたまにあるが、あまり期待はしない方がいい。旅行者で現金を持たず、キャッシングだけで過ごしている者も多いが、現金の持ち合わせがないとたいへんな事になることがある中国旅行、注意しましょう。

中国経済の真実



2010年7月16日(金)13:43 | トラックバック(1) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

彼は別です

中国に居たとき、日本人企業家と知り合いになった。彼はちょうど中国で事業を始めたばかりで、言葉も習慣もわからないので色々とアドバイスを求めてきた。通訳は絶対に日本人にしたほうがいいよ。中国人を雇ったらまず騙される。ここでお金をケチらないように、と忠告した。
しかし彼が連れてきたのは中国人の通訳。日本人の5分の1以下で雇えるらしい。確かに中国人なら地元の習慣を知っているし、地元にコネがありその上給料が安くて良いことだらけのようだが、中国人は日本人を騙すのはちーっとも悪いことだとと思っていない。大体中国人同士でも激しい騙し合いをする。先の戦争で酷い事をした日本人を騙すのは彼らにとって勲章ですらある。
通訳が先に帰った後、彼に中国人の事、話したでしょう、と言うと「もちろん覚えているよ。でも彼は別」
仕事が軌道に乗り、通訳が仕事を覚えたころ、身ぐるみはがされてタイに逃げたと噂を聞きました。噂は事実のようです。

そうだったのか! 中国 (集英社文庫)



2010年7月16日(金)13:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

晴耕雨読

雨が続いたので読書三昧。一昨日昨日、と読んだ本は「アンタレスの夜明け」「アンタレス突破」20年前に買った本。この本、続編があるのだが、原作が出たのが2003年なので、日本での翻訳無し。困ったなあ。英語で読んでみようか。たぶん挫折するだろうけど。

アンタレスの夜明け (ハヤカワ文庫SF)



2010年7月16日(金)12:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 読んだ本 | 管理

酢豚

酢豚もあまりありませんなあ。日本と似た酢豚はアメリカやマレーシア等で食べたことがあります。
古老肉という似た料理があるが、ちょっと違うなあ。私の行くことが多い田舎では見たことがありません。でも似た糖醋肉という料理は日本人旅行者に人気です。



2010年7月15日(木)21:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | 料理 | 管理

八宝菜

八宝菜です。中国には無い料理です。だいたい色々な食材を使う料理はまかないですね。残った肉や茸、野菜をごった煮した物です。長崎のチャンポン麺もまかないです。
そしてこの八宝菜は聞くところアメリカの中華街のまかないのようです。

クックドゥ 八宝菜 110g




2010年7月15日(木)21:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 料理 | 管理

婦人警官2

もっとわかりやすい動画ありました。






2010年7月14日(水)13:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

共産党は嫌いです

中国に留学したのはもう10年以上も前のことだ。まったく中国語ができない状態で、それでもかなり頑張った、楽しい2年間だった。
 数ヶ月して少し話せるようになったら「相互学習」を始めた。これは留学生がよくやるのだが、中国語を学校以外で習ったらもちろん余分にお金がかかる。学校に払う授業料、寮費、物価の安い中国でもけっこうお金がかかるのである。それで日本語を学びたい中国人学生とお互いに語学を教えあうわけだ。
簡単に中国人の知人ができるメリットもある。
数人の中国人学生と「相互学習」をしたが、だんだんいやになってくる。教科書を読み、わからないことを質問する、これは問題はない。学生は中国語を教えるプロではないので文法がよくわからない、発音、アクセントを間違う(もちろんたまにだが)なんてのはご愛嬌。後に辞書で確認する。
学習が終わった後は雑談が始まる。もちろん中国語と日本語のチャンポンだ。よくわからない所は筆記ができるのは漢字文化圏。
 「相互学習」の学生、あるいは構内で知り合った学生達とたまに酒の席で色々話をした。
しかしだんだん雑談が苦痛になってくる。中国人学生(特に男性)の話すことは皆同じ。本当に同じ。自分の意見と他の中国人のと同じ、新聞と同じことに矛盾を考えない。もちろん彼らの意見は共産党の考えと同じなのは言うまでもない。
 その中に違う意見を言う中国人もたまに居る。私の経験ではひとつは本当に頭のいい人。これは全人口の5パーセントくらいかな。もうひとつは本人、家族、友人等が共産党にひどい目に遭った人達。これはけっこう多いと思う。他に中国人が居ない場所ではけっこう話してくれる。中国人が居たら絶対に話さないだろう。その中の一つ。話してくれたのは女性。
 「私のおじいさんは資本家でした。お金持ちでした。共産党は約束しました。政権を盗っても、財産を保障する。おじいさんは共産党に協力しました共産党が政権を奪いました。それで全財産を没収されました。私は共産党が大嫌いです」
彼女、今どうしているのだろう。

感動中国!




2010年7月14日(水)03:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

美少女

中国の大理にMCAというゲストハウスがある。そこは欧米人のバックパッカーが多い。フロント、カフェ服務員が英語をしゃべるから。町の中心から少し離れてたので、泊まらずに食事だけの利用が多かった。もちろん泊まったことはあるが。
ある日、カフェで寛いでいると、友人が町で知り合ったらしい日本人女性を連れてきた。ビックリ、はっきり言ってアイドルが裸足で逃げ出すほどのかわいい。
まあ、女房と一緒の私は普通に話していたのだが、周りの白人の男どもがそわそわしだしたのは何となくわかった。
その子がじゃあ、もう少し散歩してきます、と出て行くと、近くにいた白人男が、彼女は日本人か、学生か、どこに住んでいるんだ、等矢継ぎ早に質問していきた。やっぱりかわいいのは世界共通なのだなあ。



2010年7月14日(水)03:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

天は二物を

台湾は台北の空港での話。オレ達は電話で宿を確保し、宿主が迎えに来るのをぼんやりと待っていた。一人の日本人の女性があちこちに電話している。気になって声をかけてみると、宿を探しているがどこも満室だと言う。オレ達同じ宿はどうだ、ただしドミトリーだけど、と提案すると、お願いしますとのこと。その彼女よく見るととてもかわいい。
一緒に宿に行き、色々話を聞いていると大学生、それも東大の理系とのこと。うーん、天は二物を与えるんだね。彼女は次の日の早朝の飛行機で日本に帰って行ったが、ていねいなお礼の手紙を宿主に託していった。実は彼女がタイから乗った飛行機は早朝に台北に着く予定だった。台北を一日観光し、翌日に日本に帰る予定だったのだが、飛行機が遅れてしまったようだ。



2010年7月13日(火)02:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

婦人警官GJ




中国は厳しい世界だ。人質はそうなったとたんに死者ともみなされる。過去では皇帝であってもそうだった。だいぶ前に香港の記者が偶然撮った動画が公開されたことがあった。見た人もいるだろう、人質をとった強盗犯が畑の中の小屋に立てこもった。周りを囲んだ警察官達、小屋めがけて一斉射撃、人質もろとも犯人を射殺してしまった。



2010年7月13日(火)01:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理


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