今日も旅天気
 
アジア大好き。共産党は大嫌い。
 



2006年6月を表示

日本酒

 私達夫婦は酒飲みである。最近は日本酒がおいしい。刺身に合うお酒は日本酒しかないからね。
 昔は芋焼酎をよく飲んでいたのだが、「臭い酒飲みやがって」と言っていた人が今時の流行だからと芋焼酎を飲んでいるのを見て、あほらしくなった。流行の酒は飲まん。

 焼酎は飲まなくなったけど、代わりにスコッチやニッカウヰスキーを飲むようになった。寝酒にいいよ。

 よく飲む日本酒はのは「大七」だ。本当においしいお酒だと思う。きりっとして、米の甘みの、うまみが口のの中に広がる。
 先日、弟から急に電話があった。何だ、と思ったら最近飲んだうまい日本酒の報告だった。名は「風の森」、今夜、鰹のたたきで楽しむ予定だ。



2006年6月29日(木)15:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | お酒 | 管理

エアコン

 最近、エアコンを移動した。エアコンを移動する場合、フロンをもらさずに室外機とエアコン本体を外さねばならない。これができないと結局業者に頼んでフロンを入れなければならぬ。お金もかかるし、第一、地球環境にやさしくない。
 今は色々便利なホームページがあり、検索すると素人でもできるエアコンの移動、という記事があった。
 さっそくその通りにやってみると簡単でありました。多少フロンは抜けたかも知れないが、エアコンは快適に動いています。
 便利な時代になったなあ。
 業者に頼んだら3万円ぐらいかかるそうだ。儲けた、儲けた。



2006年6月27日(火)02:30 | トラックバック(0) | コメント(2) | 趣味 | 管理

発破、中国だね。

 昨日、思い出した。場所は中国。でも中国のどこかは全く思い出せない。女房に聞いても思い出せなかった。私らが行ったのだからウルムチか雲南だと思うのだけど。
 その時、10年以上前、中国のバスは性能が悪く、たいして急勾配でない道を真っ黒な煙を吐き出すわりにはのろのろと登っていた。ぜいぜいとエンジンが息切れをし、坂を登り切り、やっと視界が広がった。
 あれ、あの大岩の後ろになぜ人々が集まっているのだろう。皆、同じ場所に固まっている。二十人くらいるかな。何をしてるのかな、って言うか皆立ってるだけで何もしていない。
 突然、バスは轟音とともにが激しく揺れた。窓ガラスは割れるのではないかの激しさ。車体もぐらぐら揺れた。
 とっさに、音のしたほうを見てみると、どうやら発破をかけたようだ。かなり激しく煙があがり、岩もあたりに散乱している。
 幸い、私らの乗っていたバスは被害は無かったが、発破をかける時は道を通行禁止にして欲しいなあ。自分達だけ避難するなよ。中国らしいけど。
 でも運転手を含む乗客の誰も驚いていないのに、もっと驚いた。中国人は危機に鈍感なのか。よくあることなのか。



2006年6月26日(月)02:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理


 私の住んでいるアパートのすぐ横を高野川が流れている。鴨川の支流でありけっこう大きな流れだ。だから蛍は少ない。蛍は広い川では幼虫が鯉や鮒に食われてしまうので、あまりいない。せせらぎにいるようだ。もちろん高野川にも少しだが蛍はいる。仕事で遅くなって早く帰ろうと急いで川岸を歩いている時、蛍が私の前を横切ったらうれしくなって、その日のビールはうまい。
 そんな京都だが、森鴎外の有名な小説の「高瀬川」の舞台になった高瀬川の四条を下がった所に蛍が居たのはほんの数年前だ。京都唯一の繁華街の河原町の近くにだよ。
 飲み疲れて店を出てぼーっと蛍を見ていたことがあったなあ。
 でも今は道がきれいになって、明かりも増えたので蛍は居なくなった。少し悲しい。

 異国で見た蛍はよく覚えている。夏のポカラは蛍がきれいだったなあ。蚊も多かったけどね。
 夏のバリ島のウブドゥも蛍が舞っていたなあ。それを見ようと部屋を出ると、窓にへばりついたのはヤモリではなく、のぞきの現地人だった。すごいスピードで逃げていったけど、宿の従業員と似ていたなあ。



2006年6月26日(月)01:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 京都 | 管理

発破!

 思い出した。もう十年以上前のパキスタンでのこと。ギルギットからイスラマバードまでのバス、普通は20時間くらいかかるのだが(当時)、60時間かかってしまった。
 そのわけは、夏の雨季だったので道が崩れてしまったから。
 ギルギットを出て8時間ぐらいのところで道が無くなっていた。川沿いの道のなので崩れ落ちたようだ。バスの運転手が「一番近い村に戻り、道が直るまでその村で待ちます」と言う。まあ妥当な判断だろう。狭い道なので何度も切り返してバスは引き返した、が後ろの道が無くなっている。ほんの数十分の間に崩れ落ちたようだ。少しぞっとした。
 結局その場所でバスの座席に座って夜を明かした。食べるものも無い。まあ私はダイエットにちょうどいいな、と思っていた。夜が明けたが雨は降り続いている。雨が降っている間は道路の補修は行われない。
 時間はどんどんたっていく。ああ、暇だな、傘をさしてそのあたりを散歩する。ついでにトイレも済ませよう。
 白人の有志が崩れた崖を越えて食料を買いに行った。私はダイエット中なのでお付き合いしなかった。あとでチャパティを手渡された時、ダイエット中だからいらないと言うのも恥ずかしいのでありがたく頂いた。
 夕方に雨が小降りになった。やっと人が出てきた。道を塞いだ大岩に発破をかけるようだ。
 最初の発破はしょぼかった。花火のよう。次のはかなりすごかった。でも大岩はびくともしない。
 近づいて見ていたら、パキスタン人の係員はにゃっと笑い、次は50キロだぜ、と親指を立てる。おお。素晴らしい。バスはぎりぎりまでバックし、人々もバスの後ろか中にに避難した。
 でもなかなか始まらない。私は飽きてきたのでそのあたりをぶらぶら散歩していた。と、突然の爆発。耳が痛いぞ、爆破する前に合図しろよ、まったく。
 百メートル以上離れたバスの窓ガラスがビリビリ震える。岩が飛んできた。私はロッククライミングをしていたので、こんな場合飛んでくる岩を見て避けたほうがいいとわかっていたので、右に左に避けた。
 避け終わって周りを見渡すと、さきほどまでそ辺りに居た旅人達が全く居ない。皆大慌で走って逃げたのだろうか。でもやっぱり私が正しかった。私にチャパチィをくれたオーストラリア人は腕に飛んできた石を受けてかなりの怪我。血が滴っている。
 芸は身を助けます。

 大岩は50キロの火薬にも負けず、知らん顔をしてまだ道に転がっていました。結局、岩を高巻いて歩いて越えました。
 バス代は半分返してくれたよ。



2006年6月22日(木)23:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

怖かった

 その時のことは今も鮮明に覚えている。人間の記憶とはどうなっているのでしょうね。使い古された表現ながら昨日の様に覚えています。それを思い出すたびに体が震え、喉が渇いてくる。あの危険な瞬間を乗り切ったのは全くの幸運だった。
 一九九六年の夏、私たち夫婦はメコン川に沿って自転車を走らせていた。メコンといっても中国内、雲南省を流れるメコン川、上流では僻地を流れる。チベット族やリス族等の多い地域だ。道はもちろん未舗装。大きな町(そのあたりでは)は町の中だけ舗装している。車が来たら土ほこりで悲惨だが、当時は擦れ違う車も少なく、楽しい、しかし色々と少し辛い旅だった。
 田舎なのに食材に乏しく、でもなぜか肉は必ずあり、ぎゃくに野菜がほとんど無い。その中で青唐辛子は必ずあるので「青椒肉絲」は毎日食べた。雲南や四川の青椒肉絲はピーマンではなく青唐辛子を入れること普通だ。慣れたらおいしく、ピーマンでは物足りなくなる。ただ最近、四川でも都会ではピーマンを入れることも増えたので、必ず確認してね。
 中国では都会の飯店には数十種類の野菜があるのに、ここあたりは多くて3種類くらい。その野菜を炒めてもらう。たいていは白菜か、茄子。
 ある日のメニュー、青椒肉絲、麻婆茄子、白菜炒め。
 次の日、青椒肉絲、麻婆豆腐、キャベツ炒め。
 また次の日、青椒肉絲、茄子炒め、麻婆豆腐。
 青い野菜が食べたいよう。

 その日はメコンに沿った道をのんびりと走っていた。道はわずかな登りと降りを繰り返し、雨季でもありメコンは大河にふさわしい威容を誇り、その周りに点在する田畑、古い家屋、鮮やかな緑などが彩りを添えていた。かなり長いゆるやかな登りののち、一休みしようとうしろを走っているの女房を待っている、と一人の男が近づき何やら話しかけてきた。わからない。その時は中国語を習い始めて1年以上経っていたので、日常会話ならかなり聞き取れるようになっていたのだが。訛りがひどい。
 しかも彼は話し終えると、こちらが「再説一遍(もう一度言って)」と聞き返すまもなくきびすを返した。一体全体何だったのだろう、女房と顔を見合わせた。
 道はなだらかな下りになっている。ゆっくりと降りはじめた。その時我々の前を全力で走っている男がいる。中国人があんなに一所懸命に走るのを見たことがない、普通は考えられない。何かある。虫の知らせか、ふと左を向いてみると崖の中から煙が噴出している。火薬の匂いもする。
 「あ、発破をかけているな」
 うしろを振り向いて力一杯の大声で怒鳴った。
 「走れ、走れ」
 同時に私も力いっぱいペダルを踏む。踏みながら後ろを振り返ると幸いなことに意思が通じたようで女房がすぐうしろを追走している。20メートルほど降ってほっとした瞬間、そしてちょうど私が振り向いた時、ポンという大きな音とに崖が破裂した。映画のような派手な音ではない。がしかし、映画のように人間の頭かそれより大きな石が十数メーターにわたって飛び散っているのを見てしまった。まるで映画「スタントマン」の一シーンのようだ。
 もし気づかずにゆっくりと坂道をのんびりと降っていたら、どうなっていただろう。よくて重傷だろう。中国の辺境だ、まともな医療機関もないので治療の遅れ等で後々後遺症に悩まされていたかもしれぬ。
 幸いなことに女房は爆発の瞬間を見ていない。私はしばらく悪夢にうなされた、彼女は見ることがないようだ。まあ、よかったのだろう。



2006年6月20日(火)23:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自転車 | 管理

韓国人

 インドはデリーでの話。
 ニューデリーのニューマーケットという場所にバックパッカーの多い「ゴールデンカフェ」がある。昔は日本人ばかりだったのだけど今は韓国人のほうが多い。
 この店はビールが飲めるのでけっこう通っていた。チャーハンは20ルピーくらいからあり、とてもおいしい「ラムチップライス」50ルピーはおすすめ。
 一番高いメニューはシンラーメン、もちろん韓国のあのラーメンだ。ご飯がつくのだけど何も入ってない素インスタントラーメンに80ルピーは払いたくない。私ら夫婦を含む日本人で食べているのを見たことがない。 
 ところが韓国人はほぼ全員これを頼む。私が見たのでは100パーセントだ。私ら夫婦はビールを飲むのでけっこう長く店に居る。100人近くの韓国人を見たと思う。
 韓国人は韓国料理以外は食べられないのだろうか。

 チベットに行ったときは韓国人と一緒に車をヒッチしたのだが、彼らはコチジャンとキムチをたくさん持っている。ウイグル料理を食べに行ったが、彼らはお茶を飲むだけで注文しない。
 ラサでもホテルのドミで断りも無く自炊を始める。韓国料理匂いがきついので部屋の中でして欲しくないのだけど。

 韓国人のツアー客のトラックにヒッチで乗せてもらった時、彼らはシンラーメンを毎日食べていた。飽きないのか。



2006年6月20日(火)01:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 料理 | 管理

高山病

 エベレスト街道のカラパタール手前の宿(標高5000くらい)で途中で一緒になった日本人カップルの女性が酷い高山病になりました。
 顔が倍ぐらいにはれ上がり、うわごとを言っている。彼らはガイドとポーター付きのの贅沢な旅行。ガイドにどうするのかと聞くと明日の朝までもたないだろう。半分以上の可能性で死んでしまう。今から(夜9時ごろ)降ろす、と。
 ガイド(8000峰に登った経験もあり)が担いで降ろしました。後にカトマンズで、その死にかけた女性に会い、あの時のことを聞くと、彼女はうわごとを言っているのを聞いている自分がいて、ああ、これで死ぬんだなと思ったそうです。
 たっぷりの水分を取るようにとアドバイスはしたのですが、やっぱり女性はトイレの問題もあるし、難しいですね。
 たっぷりの水分の意味は3リットル以上です。
 
 高山病は血管内に赤血球が異常に増え、毛細血管が詰まることから起こる病気です。だから大量の水分を取って血を薄めるのです。赤血球が増えるのは高山で酸素不足の細胞にたくさんの酸素を送ろうと、肝臓にたくわえられている赤血球を放出するから。
 つまりアレルギーと同じ、過剰反応なわけね。



2006年6月18日(日)00:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 健康 | 管理

死ぬかと思った時

皆さん、雷は嫌いですか。まあ、普通の人は嫌いでしょうね。私は昔、岩登りをしていたことがあります。岩登りの最中に雷に遭うことがあります。逃げることができない、ただ岩にしがみついて祈るだけの本当に怖い瞬間です。体にカラビナ等の金属の道具をつけています。この道具類、どこか遠くに放り投げたいと思うのですが、もちろんそんな事はできません。そんなことをしたら雷の終わった後に登攀ができなくなって完全に命を失ってしまいます。この恐ろしい時間が過ぎ去るのを待つだけです。
 私は幸いにそれほど恐ろしい場面に出くわしたことは無いのですが、出会った人によるとすぐ近くの岩壁に雷が落ちて岩壁が震え、金属が青白く光ったそうです。何も無い岩壁に落ちて、なぜ金属のかたまりの登攀者に落ちないのか不思議だと言っていました。
「案外落ちないものだね」
 彼は笑いながら言いました。でもよく考えて見ればもし彼に雷が落ちていれば、ここにいるわけがない。はるか西方浄土にいるわけですから、案外落ちないかどうかはわからないわけです。

 私が雷で最も怖い思いをしたのはもう二十年近く前のグランドキャニオンでのことです。
 グランドキャニオンを下りコロラド川まで往復した時のことです。グランドキャニオンは渓谷の上にキャンプ場があります。そのキャンプ場は簡単に泊まることができます。予約は要りません。今はどうかは知りません。コロラド川の川岸にあるキャンプ場は予約が必要で、キャンプ場以外の場所でのキャンプは禁止されています。ただ日帰りならコロラド川まで行くことが可能です。
 でもここのハイキングは普通の山登りとは違い、後半に苦痛が待っています。山登りなら前半がんばれば、後半は急な下りで膝を痛めたり、滑って怪我をしたりしないように注意深く歩けば楽なものです。しかし渓谷の上から出発するハイキングは(登山ではないなあ)前半に比べ後半に苦痛が来るのであります。もちろんロバの背中に乗っての楽なツアーも用意されているのですが、そんなお金はありません。
 ガイドブックによればコロラド川までの往復に八時間かかるとありました。渓谷を見下ろす展望台(もちろん自然の物)に寄れば十二時間かかるらしい。でもせっかくだから両方行きたい。
 朝の六時に出発の予定で、出発したのは七時、下りなのでぐんぐん距離を伸ばし、九時半頃にコロラド川に着き、大休止を取りました。休んでいる時に女性の公園レインジャーがここには泊まれませんと言いにきました。今日中に上のキャンプ地に戻るつもりだと言うとにっこりと笑って手を振って歩み去りました。
 展望台にも寄って、さあ後は登るだけ、と渓谷のかなり平たい部分を歩いていた時、西のほうから真っ黒な雲がすごい勢いで近づいてきました。あ、夕立かなと思って雨具を出して準備をしていると5分ほどで豪雨になりました。もちろん雷の激しい音も聞こえます。谷と言っても日本と違い規模が大きいので本当に広くて隠れるところがほとんどありません。
 困ったなあ、と歩いているとすぐ右、たぶん数十メートル離れた何も無い場所に雷が落ちたのです。閃光と同時に石が弾け飛ぶのが見え、同時に耳がおかしくなるような轟音。あっ、と思ったら次は左に落ちた。次に落ちるのは絶対に俺の上だ、と思い、死に物狂いで走り、近くに偶然あった岩陰に身を隠し、もっていた金属類を10メートルほど離れた場所に放り投げた。怖いのなんの。この怖さは経験しないとわからないよ、本当。
 もちろん、雨と雷はすぐに東に行ってしまいました。



2006年6月16日(金)00:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

中国の戦闘機

14日付香港各紙によると、中国福建省福州市の日系工場近くに12日、中国の国産戦闘機「殲(せん)7」とみられる飛行訓練中の軍用機が墜落し、工場の守衛1人が死亡、付近にいたバイクの男性が行方不明となった。パイロットはパラシュートで脱出し無事だった。
 報道を受けて調査を始めた広東省広州市の日本総領事館によると、墜落はあったとみられるが日系工場への被害は確認できないという。中国当局がかん口令を敷いているとみられる上、総領事館が把握していない進出企業もあり、正確な情報収集は難しい状況だ。

 中国では3日、安徽省で最新の空中警戒管制機(AWACS)とみられる国産軍用機が墜落、搭乗の40人が死亡した。

………引用ここまで………


この「殲(せん)7」ってミグ21、初飛行は1956年、50年前じゃないか。こんな機体を使っている中国って、本当に軍事大国なのかな。疑問だ。最近はロシアの最新の戦闘機等の武器を買っているようだけど、他国に武器を売る場合性能を2から3割落とすのは常識。中国がロシアから武器を買っているうちは安心だ。



2006年6月15日(木)04:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 政治 | 管理

メーホンソン、続き

 水浴びに行ったときのこと。やっぱり男の子と女の子は離れた場所で遊びだした。私は当然男の子とプロレスごっこなどをして遊ぶ。投げ飛ばしても危なくない。楽しいね水遊びは。何歳になっても。
 女房によると女の子たちは首に巻いた真鍮の輪を草を使ってごしごしと掃除に余念がなかったらしい。やっぱり女の子のほうが大人になるのが早い。
 ちなみに、首を長くするのは本来はすべての女性がする必要がなく、生まれた日で決まったらしい。だから昔は首の長い女性のほうが少なかったらしい。でも今はお金になるのでほとんどすべての女性たちが首を伸ばす。
 首に付けている真鍮の輪、外したら首の骨が折れて死ぬ、と言われているらしいけど、うそ。外した位で死ぬほど人間の首はよわくありません。ただ長い首の上に顔が揺れているのは少々笑えます。
 この首輪、かなり重い。
 
 その水浴び場所の岸に生えているのは、お辞儀草だ。ああ、懐かしいなと触っていると、子供たちが騒ぎ出した。彼らはお辞儀草を知らないようだ。運転手のタイ人も知らなかった。なぜお辞儀をするのか、と聞いてきたので「この草は礼儀正しいのだ」と言っておいた。
 
 水浴びが終わったら村に戻る。他の観光客はもう帰ってしまったようだ。食事の時間になった。
 その前に防空壕に案内された。年に数回、ビルマ軍が越境して攻撃をしかけてくるので、銃声がしたらここに入るようにとのこと。ビルマ軍はなぜ攻撃をしかけてくるのだろう。軍隊に緊張感を持続さすためか。わからない。
 この村で男たちを見ないわけもその時説明された。彼ら男たちは昼間寝て、夜は歩哨に立つらしい。国境の村の緊張感。

 少女たちと一緒に食事をし、彼女たちの踊りを見て、安酒を飲み、夜は更けていった。これは本当に楽しかった。
 寝るのはは掘っ立て小屋での雑魚寝だ。夜中に体を這う昆虫には閉口した。少々気持ちが悪い。



2006年6月14日(水)01:35 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

ワールドカップ

 日本負けたね。悔しい。今日は自棄酒だ。勝っての祝い酒より苦いなあ。


2006年6月13日(火)00:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | スポーツ | 管理

タイのメーホンソン

 数年前、タイのビルマ国境の僻地、メーホンソンに行ったことがある。当時は僻地割引で飛行機が片道千円ほどで乗ることができた。ちなみにバスでは六百円くらいで8時間かかってしまう。バスも飛行機もチエンマイから。今は僻地割引はないようだ。
 もちろん安いので予約が難しいし、有視界飛行なので天気が悪かったらすぐに欠航。天気のいい日にかかわらず飛ばないことがある。春先の焼畑の煙で視界が悪くなるためのようだ。

 偶然泊まったゲストハウスで秘密のツアーを募集していた。客が4人以上集まらないとツアーは中止になるので、何日か前から泊まっている日本人に誘われた。
 値段はけっこう高いが、本来なら外国人が絶対にできないツアー、長首族の村にホームステイする、というものだった。
 長首族、たまにテレビにやっているが、彼女らはもともとシャン族の一氏族、本来はビルマに住んでいるのだが、逃げてきていた。そして難民キャンプは国境の近くにあり、外国人がこの場所で夜を過ごしてはいけない。
 ゲストハウスのオーナーは長首族の世話をしており、顔が利くようだ。

 着いて入場料を600円ほど払い、難民村を見学する。粗末な藁葺き、ベニヤ板の小さな家が山の斜面に並んでいる。ポストカードなどを売っているこれまた小さな売店に首の長い少女が二人くらい並んで座っている。こちらを見るとにっこりと笑うが特にこれを買えのようなことは言わず、黙ってにこにこしている。彼女らはかなり美形だ。ビルマ人は混血がすすみ美形が多いが、彼女らもそうなのだろう。その上首にまく真鍮のためだろうか、小顔である。写真は自由に撮ることができる。もちろんその代わりに何かを買う。

 その村まで、ピックアップトラックで行ったので、子供たちを少し離れた川まで連れて行くことになった。この村の近くには水浴びのできる場所がない。子供たちの人数が多いので、2回に分けて行くことになった。第一陣、子供たちが乗り込んだ。皆、女の子達だ。男の子たちはおとなしく立っている。
 あれ、日本なら逆だろうに。オーナーに聞くと、この村で金を儲けているのは彼女たちがいるからだ。子供でもそれくらいのことはわかる、と言う。うーん、やっぱり金を稼ぐほうが偉いのか。



2006年6月7日(水)02:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

自転車

 今日、京都大学のそばの歩道を歩いていると、大学の門のところで車道から女性の乗った自転車が歩道に入ってきた。こんな場合は歩行者の後ろを通るのが普通だと思うけど、彼女は違った。スピードもゆるめずに私の前を横切った。風を感じるほどのすぐそばだ。少しむっとすると同時に中国を思い出した。
 中国で暮らしていた時、かの国は自転車王国なので似たようなことがしょっちゅうあった。そして中国人は老若男女の九割以上が前横切り、こちらの足を止めさせてしまう。後ろを通ってくれる人は少なく、たまにそんな人が居たら思わず顔を見てしまう。まあ横顔しか見えないけど、たいていは賢そうな顔をしている(と思う)。
 こんな場合、日本人だったら9割以上後ろを通るだろうけどね。顔は似ててもこんなところで違う。 
 俺の前を横切ったあの女、中国人かな。



2006年6月7日(水)01:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

中国人の喧嘩

 中国を旅してると、中国人同士の喧嘩を見ることがある。面白いよ。日本人同士の喧嘩なら、相手は決まっている。野次馬は関係ない。
 ところが中国では野次馬が重要だ。中国の喧嘩では野次馬にできるだけアピールしたほうが勝つことが多い。
 一度見たのは、男が身分証を高く掲げ、「俺様はこんなに偉いのだ。だから俺のほうが正しいのだ」と野次馬にアピールしていた。
 この方法は暴力ざたにならなく良い、と言った女性がいたが俺はそうは思わない。
 そうだったら、見た目の悪い男は彼がいかに正しくても負けてしまうではないか。見た目の悪い私は許せない。



2006年6月2日(金)00:42 | トラックバック(0) | コメント(2) | レジャー・旅行 | 管理


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