つらかった物語 |
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| 昔々のお話です。当時のアメリカドルは二百六十円、航空運賃はロサンジェルス往復、で二十万円近くしました。オフシーズン料金です。アルバイトの時給は六百円ぐらいの時です。アルバイトを二つ掛け持ちし、貯めたお金は六十万円と少し、航空券を買い、保険に加入し、アメリパスを買い(十万円くらいしました)、その他の出費でドルの現金は千ドルが精一杯でした。これで二ヶ月のアメリカの旅は当然の貧乏旅行。毎日所持金を計算し、残りの日数で割り、それより少ない出費で済ますわけです。とほほ。本当に苦しい旅でした。 テント泊は当たり前、ヒッチハイクにバス移動泊、バス泊は時刻表を見て別に行くたくない町であってもそこを往復します。アメリパスは乗り放題ですから。 このバス泊、何日も続くと欲望は「ああ、横になりたい、横になれるのなら刑務所に入ってもいい」となります。ある日耐えきれずに公園に行きました。アメリカの公園は「ここで寝るな」と立て札があります。あの国は厳しい国で、州によっては浮浪罪と呼ばれる犯罪があるそうです。だからあの国の浮浪者は立っているのだと聞いたことがあります。座ったり、寝ころんだりしたら逮捕されるらしい。日が暮れたらさすがに許されるようですが。 その時、私の気持ちは逮捕するならしろ、死刑にはならないだろう、でした。それほど疲れ果てていました。精神的な物もあったでしょうけど。 それでも少しは頭が働いたようで、公園の奥のほう、人が来そうにない所を選びました。初めての場所でしかも夜、場所を決めるのに悩み、結局ここにしょうと決定し寝袋を広げたのは夜中の二時をまわっていたと思います。 寝袋にもぐりこみ、ああ嬉しいなあ、横になれたと幸福をかみしめ、眠りに入りました。しかし不安が頭のどこかにあったのでしょうか、眠りはそれほど深くはなかった様です。夜中に二人の若者が「誰か寝ているぞ」と言いながら枕もとを歩いて行ったのを憶えています。 早朝に公園の掃除係のおじさんに叩き起こされました。六時頃だったと記憶しています。 「ここは寝たらだめなのだ」 こんな時の英語はよくわかります。でも寝不足で起こされた私の頭は真っ白。自慢にはならないけど寝起きの悪さには定評があります。黙ったまま荷造りする私をおじさんはじっと見つめていました。あまりに私の仏帳面がすごかったのでしょうか、口調が優しくなってきました。 「どこから来たのだ。どこに行くのだ」 私はそれにも答えませんでした。頭はまだ靄がかかったような状態です。もう少し寝たかったのに。 「さようなら」 バックを担ぎ、手を振るとおじさんも手を振ってくれました。いい人のようです。
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2007年7月6日(金)23:58 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理
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1: 段ボール肉まんは事実やで
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| 英語しゃべれるやったら、現地で女の子ナンパして家に泊めてもらえば良かったやん。俺なんか学生の頃から外国でタダ宿タダ飯は当たり前やと思ってたけどな。若いって事は良いことや(歳食ったらなかなかそうもいかんけど)
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by コア2な人 | 2007年7月21日(土)01:32
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