今日も旅天気
 
アジア大好き。共産党は大嫌い。
 



2010年8月を表示

北海道

明日より3週間位北海道に旅立ちます。


2010年8月22日(日)00:59 | トラックバック(4) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

解放軍の時計

 中国に行った時、けっこう中国製の時計を買う。値段はけっこう安いし、かさばらない。まあ買っても二つか三つだけど。「上海ブランド」の時計、「毛沢東ブランド」の時計など、今では手に入れるのが難しい時計もある。
 そんな時計のなかで一番興奮したのは「解放軍時計」であった。思わず、海軍、空軍、陸軍と三つも買ってしまった。時計の値段は一つ3000円くらいと、決して安くはない。
 陸軍時計は文字盤が迷彩だったので、喜んで着けていたら、裏蓋の回りのメッキのところが錆びてきた。裏蓋自体はステンレスなので問題ないのだが、それ以外はメッキだったらしい。そのメッキもいい加減なメッキなので、つけて半年くらいで錆びだしたのだ。内部の機械は日本製のようで、時間は正確に刻んでいたのだが。
 海軍時計なら大丈夫だろうと、それに変更。でもこれも半年くらいで錆びだした。おいおい、海なら半月もたないぞ。それどころか手を洗ったら時計のガラスが曇った。問題外だ。
 中国、もっとましな製品が作れないの。



2010年8月14日(土)01:10 | トラックバック(1) | コメント(0) | あれこれ | 管理

パキスタンでの災難

パキスタンで未曾有の水害がおこっているとの報道で思い出した。もう十年以上前のパキスタンでのこと。ギルギットからイスラマバードまでバスに乗った。普通は20時間くらいかかるのだが(当時)、60時間かかってしまった。
 そのわけは、夏の雨季だったので道が崩れてしまったからだ。
 ギルギットを出て8時間ぐらいのところで道が無くなっていた。進むことが出来ない。川沿いの道なので川に向かって崩れ落ちたようだ。バスの運転手が「一番近い村に戻り、道が直るまでその村で待ちます」と言う。まあ妥当な判断だろう。狭い道なので何度も切り返してバスは引き返した、驚いたことにすぐ後ろの道が無くなっている。ほんの数十分の間に崩れ落ちたようだ。少しぞっとした。
 結局その場所でバスの座席に座って夜を明かした。食べるものも無い。まあ私はダイエットにちょうどいいな、と思っていた。夜が明けたが雨は降り続いている。雨が降っている間は道路の補修は行われない。危険だから。
 時間はどんどん過ぎていく。ああ、暇だな、傘をさしてそのあたりを散歩する。ついでにトイレも済ませた。
 白人の有志が崩れた崖を越えて食料を買いに行った。私はダイエット中なのでお付き合いしなかった。あとでチャパティを手渡された時、ダイエット中だからいらないと言うのも恥ずかしいのでありがたく頂いた。
 夕方に雨が小降りになり、作業員が出てきた。道を塞いだ大岩に発破をかけるようだ。
 最初の発破はしょぼかった。花火のよう。次のはかなりすごかった。でも大岩はびくともしない。
 近づいて見ていたら、パキスタン人の係員はにゃっと笑い、次は60キロだぜ、と親指を立てる。おお、素晴らしい。バスはぎりぎりまでバックし、人々もバスの後ろか中に避難した。
 が、なかなか始まらない。私は飽きてきたのでそのあたりをぶらぶら散歩していた。すると、突然の爆発。耳が痛いほどだ、爆破する前に合図しろよ、まったく。
 百メートル以上離れたバスの窓ガラスがビリビリ震える。破壊された岩が幾つも飛んできた。私はロッククライミングをしていたので、こんな場合飛んでくる岩を見て避けたほうがいいとわかっていたので、右に左に避けた。もちろん距離が有り、岩の勢いが無くなっていたからできたのだ。
 避け終わって周りを見渡すと、さきほどまでそ辺りに居た旅人達が全く居ない。皆大慌で走って逃げたのだろうか。でもやっぱり私が正しかった。私にチャパチィをくれたオーストラリア人は腕に飛んできた石を受けてかなりの怪我。血が滴っている。
 芸は身を助けます。

 大岩は50キロの火薬にも負けず、知らん顔をしてまだ道に転がっていました。結局、岩を高巻いて歩いて越えました。
 バス代は半分返してくれたよ。




2010年8月9日(月)02:26 | トラックバック(1) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

まさか!中国人を恨む民族が存在するとは・・

  私がカナダの小さな町でクリーニング店を経営していた時の事だ。町にいるアジア系住民は2つの中国人家族のほかに、3つの韓国人家族しかいなかった。その3つの韓国人家族のうち、主人が科学者の家族がいた。その科学者の奥さんは頻繁にクリーニングを利用してくれたうえ、同じアジア人として親近感があった。

  彼女はすでに退職しており、子供もすでに結婚していたため、暇をもてあましては教会のボランティア活動をしていたのだった。私が彼女と徐々に打ち解けるようになると、彼女は私に様々な質問をするようになった。私も何気なく、彼女の家柄についてたずねると、彼女の顔色が一変したのだった。

  彼女は韓国の田舎では相当なお金持ちだったそうだが、朝鮮戦争が勃発し、住んでいた土地が北朝鮮軍と中国軍によって占領されたのだという。そしてある夜、彼女の家に軍人が突入してきて、彼女の祖父や父、叔父を強制連行したそうだが、それが最後の別れになってしまったという。

  私は「連行して行った軍人とは北朝鮮軍の軍人か?」と尋ねると、彼女は私をにらみながら「あなたたち中国人だった。中国の軍人だった」と言い、続けて「当時、米国の戦闘機が毎日のように空爆していた。中国軍は前進するために、軍人と一緒に一般庶民の女や子供を一列に並べていたのだ。米国の戦闘機は一般庶民を空爆するわけにもいかず、やむを得ず引き返して行ったのだ」と語るではないか。私は彼女の話を聞いて言葉が出なかった。

  その後、私は「戦争は一般庶民にとっては残酷で恐怖であるが、なぜ韓国は北朝鮮を侵略するために戦争を起こしたのか?」と言うと、彼女は非常に驚いた様子で「我々が戦争を起こしたはずが無いだろう!北朝鮮が突然、38度線を越えて韓国に攻め入ったのであり、その北朝鮮を支援していたのがあなたたち中国ではないか!」と言うのだった。

  私は呆然としてしまった。私が学んだ歴史はそうではなかったはずである。そしてこの世界に我々が日本人を恨むのと同様に、中国人を恨む民族が存在していたとは全く知らなかったのである。

--------引用ここまで-------------

何も言うことはございせん。チベットはモンゴルははベトナムはウイグルはと小さくつぶやくだけでございます。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0714&f=national_0714_005.shtml



2010年8月7日(土)03:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

新幹線運転士による韓国鉄道レポートまとめ

新幹線運転士による韓国鉄道レポートまとめ

なかなか興味深かった。暇なら読んでください。ちょっと古いけど。




2010年8月5日(木)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

ベトナムはおいしいか

 よく雑誌や紀行本においしいベトナム料理なんて文がのるけど、本当だろうか。私の限られた経験(ベトナム行きは2回、計で1カ月半、ハノイには行かず)からするとおいしくない。限られ経験ではあるがサイゴン、ニャチャン、フエ等では有名な店にかなり通ったのだ。
 ベトナムでうまかったのは、素材をそのまま焼いたり蒸したりした店だ。それにレモンを絞って食べる。でもそれはベトナム料理と呼ばないだろう。
 今日読んだエッセイでもベトナムはサイゴンでコーヒーとフランスパンがおいしい、とあった。オレがサイゴンで食べたフランスパン、すかすかでおいしくなかったぞ。他の日本人の意見もほぼ同じだった。
 コーヒーは好みの問題もあり、一概に言えないが、フランスパンは違うだろう。フランスパンも好みの問題ではと言う人もいよう。でもクズ米や古米で炊いた米がまずいのと同じで、コーヒーなどの嗜好品と違い、主食たる米やパンは明らかにうまいまずいがある。これは万人共通の味覚だと思う。
 ベトナム料理、日本から行ったら生野菜も多く使うのでエキゾチックなのでおいしく感じるのだろうか。タイや中国から流れたらがっかりするぞ。
 だいたい味の素の使いすぎだし、素材も悪い。特に野菜が最低だ。流通が悪いのでそうなんだろうと思う。肉は生きたまま運べるので新鮮だ。新鮮すぎて堅くてとても食べられないこともあるけど。



2010年8月5日(木)18:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 料理 | 管理

いつも虐められるのは少数民族

昔、中国人(漢族)と酒を飲んでいたとき、聞いた。

「文革の時はたいへんだったろうね」

「たいへんだったけど、少数民族をいじめて憂さ晴らしをしていたよ」

「その少数民族はどうした」

「さあ、知らない。たぶん自分より弱い民族をいじめていたんではないの」

中国のとある少数民族のことわざに

石を枕に出来ないように漢族とは友人にはなれない



なんてのがあったなあ。




2010年8月5日(木)03:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

飛行機内で靴を脱ぐ

オレ達は一般の人よりは飛行機に乗ると思う。そして少し気にかかることがある。それは飛行機に乗って座席に座るやいなや靴を脱ぐ人が多いことだ。別に臭いのことを言っているのではない。そんな人は旅慣れているように見えるが果たしてそうだろうか。
 飛行機は離陸と着陸の時間が一番危なくて、事故のほとんどはこの時間に起こっていると聞く。つまり離陸か着陸の時に事故が起こって不時着せねばならぬ時、裸足でズタズタになった機体(たぶん)や、脱出に成功しても爆発から逃れるためには荒れ地(たぶん)を走らねばならない。
 普段靴に守られてヤワな文明人の脚では無理だと思うぞ。
オレの女房もすぐに靴を脱いでいたのでやめさせた。今では離陸と着陸の15分間ずつは靴を履くようにしている。
確率は百万分の一らしいけど、当たるときは当たってしまうだろ。



2010年8月5日(木)03:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

メキシコはいい国

メキシコが楽しかったわけの一つはメキシコ人が親日だったこと。メキシコに行く前は、アメリカ人にメキシコ人は最低だ、と言われていたのに、なんだろうこの温度差は。のちにわかったが、メキシコ人はアメリカ人が大嫌いだそう。隣同士の国は仲がが悪い、昔からの領土問題を抱えているから。
そして日本人には場所と時間は違うがアメリカと戦った共感があるのでしょう。
アメリカはえげつない国で、メキシコから領土を奪ったとき、宣戦布告はせず、奇襲攻撃でメキシコ軍を撃破した。
これって真珠湾と同じですね。自分は宣戦布告無しで他国を攻めておいて、他の国か布告無しで攻めてきたら「アンフェアー」と言う。アメリカ人はおかしいと自分で思わないのかな。一度脳を手術してもらいな。




2010年8月4日(水)01:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

メコンを旅する2

メコンをさかのぼる旅での一こま。船長、機関長はバリバリ働いている。カメラを持ってあちらこちら歩き回ってわかった。でも新米の船員達はごろごろしている。文字通りごろごろ寝転んでいる。どうなっている、新米らしくもっと働けよと思っていたが、当然口には出さない。
ある時、メコンの急流にさしかかった、川幅が極端に狭まり、泥水がゴウゴウと音を立てて流れる。船のエンジンは激しい音を立てているのだが、前には進まない。どうなるのかな、と見ていると、あのごろごろしていた新米船員達は起き上がり、そのうち一人がロープを持って川に飛び込んだではないか。彼はなんとか岸にたどり着いた。その後数人の新米達が次々と飛び込み、5人が岸に着いた。そして彼らは協力しながら川上に向かう。ロープを引きずりながら。
急流を乗り越えたあたりで彼らは船に合図を送った。ロープを5人で引っ張りだした。どんどん引っ張ると鉄製のワイヤーが現れた。ナイロンのロープにくくっていたのだろう。そこにある巨木にそのワイヤーをくくり付け、彼らの仕事は終わった。その間、1時間位だろうか。船はそのワイヤーを利用して牽引し、無事に難所を越えた。
 すまん、君たちを怠け者だと思って。




2010年8月3日(火)03:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

メコンを旅する

 メコン川をタイから中国にさかのぼったことがある。
 メコンはチベット、中国から、ビルマ国境、ラオス、カンボジアを経てベトナムから太平洋に流れ込む大河。10年ほど前、中国に留学していたとき、「メコンを自由に行き来できたらいいなあ」と他の留学生達と話していた。それが可能になったのは2004年だった。留学時は可能になるとは思わなかった。
 さてその旅は、貨物船の空いた部屋を利用するので、豪華船の旅というわけにはいかないが、船室は質素であるがまあ清潔。食事は船員と一緒にとる。これは当りはずれがあるだろう。量は十分だ。私達は行きの船は見習いの船員が作ったので塩辛くて脂っこい食事だった。帰りの船は専用のコックさんが乗っていたのでとてもおいしかった。
 船員達は中国語以外話せなく、訛りもあるので意思の疎通が難しい。だからあちらからも必要以上に話しかけてこない。そしてどこの国でもの肉体労動者は同じ。つまりぶっきらぼうだが親切であることだ。トイレで電気のスイッチの場所がわからなくて困っていたらにこにこしながら近づいてきて、黙ってスイッチを点けてくれる。朝寝坊した我々のためにわざわざラーメンを作ってくれた。もちろん彼らの朝食ははるか以前に終わっていた。
 シャワーは一応あるのだが、メコン川と同じ色をしている。うーん、止めておこう。
 雨季のメコンは水量がすさまじい。船はなかなか遡上できない。下る時はは昼前に出て明るいうちに停泊、翌日朝は明るくなってから出発し、昼過ぎにタイに着く。上りは2泊かかる。夜遅く12時頃まで走り、朝は明るくなる前から出発する。停泊するのはどこかわからない場所。強盗に襲われそうな所。というか強盗に襲われ身ぐるみ剥がされ殺されて死体を処理されたら永遠に行方不明だろう。もちろんそんなことはない。でも一人で乗ったら心細いだろうなあ。
 雨季のメコンは雲が低く、船室の電気を消せば本当に何も見えない。話によると6月は蛍が見ることができるらしい。
 時間はかかるが、上りは面白い。船は4発の大型のサーチライトで上流を照らしながら真っ暗なメコン川をさかのぼる。まわりはジャングル。時々ラオスやビルマの草葺屋根の集落がサーチライトの光に照らさし出される。濁流の音とそれに負けないエンジンの唸り声、まるで「地獄の黙示録」の世界だ。ちょっと古いけど。




2010年8月2日(月)16:34 | トラックバック(1) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

危機一髪

 その時のことは今も鮮明に覚えている。人間の記憶とはどうなっているのでしょうね。使い古された表現ながら昨日の様に覚えています。それを思い出すたびに体が震え、喉が渇いてくる。あの危険な瞬間を乗り切ったのは全くの幸運だった。
 一九九六年の夏、私たち夫婦はメコン川に沿って自転車を走らせていた。メコンといっても中国内、雲南省を流れるメコン川、上流では僻地を流れる。チベット族やリス族等の多い地域だ。道はもちろん未舗装。大きな町(そのあたりでは)は町中だけ舗装している。車が来たら土ほこりで悲惨だが、当時は擦れ違う車も少なく、楽しい、しかし色々と少し辛い旅だった。
 田舎なのに食材に乏しく、でもなぜか肉は必ずあり、逆に野菜がほとんど無い。その中で青唐辛子は必ずあるので「青椒肉絲」は毎日食べた。雲南や四川の青椒肉絲はピーマンではなく青唐辛子を入れること普通だ。慣れたらおいしく、ピーマンでは物足りなくなる。ただ最近、四川でも都会ではピーマンを入れることも増えたので、必ず確認してね。
 中国では都会の飯店には数十種類の野菜があるのに、ここあたりは多くて3種類くらい。その野菜を炒めてもらう。たいていは白菜か、茄子。ある日のメニュー、青椒肉絲、麻婆茄子、白菜炒め。次の日、青椒肉絲、麻婆豆腐、キャベツ炒め。また次の日、青椒肉絲、茄子炒め、麻婆豆腐。青野菜が食べたかった。
 その日はメコンに沿った道をのんびりと走っていた。道はわずかな登りと降りを繰り返し、雨季でもありメコンは大河にふさわしい威容を誇り、その周りに点在する田畑、古い家屋、鮮やかな緑などが彩りを添えていた。かなり長いゆるやかな登りののち、一休みしようとうしろを走っているの女房を待っている、と一人の男が近づき何やら話しかけてきた。わからない、その時は中国語を習い始めて1年以上経っていたので、日常会話ならかなり聞き取れるようになっていたのだが。訛りがひどい。しかも彼は話し終えると、こちらが「再説一遍(もう一度言って)」と聞き返すまもなくきびすを返した。一体全体何だったのだろう、女房と顔を見合わせた。道はなだらかな下りになっている。ゆっくりと降りはじめた。その時我々の前を全力で走っている男がいる。中国人があんなに一所懸命に走るのを見たことがない、普通は考えられない。何かある。虫の知らせか、ふと左を向いてみると崖の中から煙が噴出している。同時に火薬の匂いもする。
「あ、発破をかけているな」
 うしろを振り向いて力一杯の大声で怒鳴った。
「走れ、全速力で走れ」
 同時に私も力いっぱいペダルを踏む。踏みながら後ろを振り返ると幸いなことに意思が通じたようで女房がすぐうしろを追走している。20メートルほど降ってほっとした瞬間、そしてちょうど私が再び振り向いた時、ポンという大きな音と共にに崖が破裂した。映画のような派手な音ではない。が映画のように人間の頭かそれより大きな石が十数メーターにわたって飛び散っているのを見てしまった。まるで映画「スタントマン」の一シーンのようだ。
 もし気づかずに坂道をのんびりと降っていたらどうなっていただろう。よくて重傷だ。中国の辺境だ、まともな医療機関もない。
 幸いなことに女房は爆発の瞬間を見ていない。オレはしばらくは悪夢にうなされた。女房はそんな夢を見ることがないようだ。まあ、よかったのだろう。




2010年8月1日(日)18:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自転車 | 管理

リップサービス

 中国で生活していたのはもう10年近く前のことだから変化の激しい今の中国にはあてはまらないかもしれない。しかし人間の生活習慣はそう簡単に変わるものではない、かとも思う。
 私たち夫婦が生活したのは中国の南、雲南省の昆明である。ブログ名でわかるわな。
 南に位置するが標高が1900メートルくらいあるので気候は温暖、空気は乾燥して過ごしやすいところである。昆明は別名「春城」と呼ばれている。一年じゅう春のようだから。といっても1月や2月はとても寒い。北京に比べたら暖かいだろうけどね。でも室内は暖房されている北京より寒いだろうね。
 昆明は氷点下にこそほとんど成らないが、たまに雪が降る。雪は3年に一度くらい振り、10年に一度くらい積もるらしい。冬の時期に行く人はくれぐれも寒さ対策の服装を忘れないようにね。まあ現地で買えるけど。
 その少ない降雪に遇えば幸運だ。地元の人は言う。「昆明は500年に一度しか雪が降りません。あなたはとても幸運です」もちろんリップサービスです。
 この昆明、東北地方や北京出身者が以外に多い。気持ちはよくわかる。中国の北部は寒いからなあ。



2010年8月1日(日)02:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

中国人は誰も信用しない

中国での生活の基本は前払いだ。新聞や牛乳の月ぎめ契約も勿論先にお金を払う。ちなみにオレ達夫婦が留学していた当時の昆明では月ぎめでも部屋までの配達は無く、指定された場所に決まった時間に取りに行くのである。今はどうだろうか。
 中国人は後払いでは払わない。かつていま日本のリース会社がこぞって中国に進出したが、今は全部撤退した。中国人は借りてながらお金を払わない。機械を引き取りに行くと妨害したり、ひどい時にはすでに売り払っていたり。公安に届けても彼らは地元企業の味方だから、何もしてくれない。



2010年8月1日(日)02:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理


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