今日も旅天気
 
アジア大好き。共産党は大嫌い。
 



レジャー・旅行

パキスタンでの災難

パキスタンで未曾有の水害がおこっているとの報道で思い出した。もう十年以上前のパキスタンでのこと。ギルギットからイスラマバードまでバスに乗った。普通は20時間くらいかかるのだが(当時)、60時間かかってしまった。
 そのわけは、夏の雨季だったので道が崩れてしまったからだ。
 ギルギットを出て8時間ぐらいのところで道が無くなっていた。進むことが出来ない。川沿いの道なので川に向かって崩れ落ちたようだ。バスの運転手が「一番近い村に戻り、道が直るまでその村で待ちます」と言う。まあ妥当な判断だろう。狭い道なので何度も切り返してバスは引き返した、驚いたことにすぐ後ろの道が無くなっている。ほんの数十分の間に崩れ落ちたようだ。少しぞっとした。
 結局その場所でバスの座席に座って夜を明かした。食べるものも無い。まあ私はダイエットにちょうどいいな、と思っていた。夜が明けたが雨は降り続いている。雨が降っている間は道路の補修は行われない。危険だから。
 時間はどんどん過ぎていく。ああ、暇だな、傘をさしてそのあたりを散歩する。ついでにトイレも済ませた。
 白人の有志が崩れた崖を越えて食料を買いに行った。私はダイエット中なのでお付き合いしなかった。あとでチャパティを手渡された時、ダイエット中だからいらないと言うのも恥ずかしいのでありがたく頂いた。
 夕方に雨が小降りになり、作業員が出てきた。道を塞いだ大岩に発破をかけるようだ。
 最初の発破はしょぼかった。花火のよう。次のはかなりすごかった。でも大岩はびくともしない。
 近づいて見ていたら、パキスタン人の係員はにゃっと笑い、次は60キロだぜ、と親指を立てる。おお、素晴らしい。バスはぎりぎりまでバックし、人々もバスの後ろか中に避難した。
 が、なかなか始まらない。私は飽きてきたのでそのあたりをぶらぶら散歩していた。すると、突然の爆発。耳が痛いほどだ、爆破する前に合図しろよ、まったく。
 百メートル以上離れたバスの窓ガラスがビリビリ震える。破壊された岩が幾つも飛んできた。私はロッククライミングをしていたので、こんな場合飛んでくる岩を見て避けたほうがいいとわかっていたので、右に左に避けた。もちろん距離が有り、岩の勢いが無くなっていたからできたのだ。
 避け終わって周りを見渡すと、さきほどまでそ辺りに居た旅人達が全く居ない。皆大慌で走って逃げたのだろうか。でもやっぱり私が正しかった。私にチャパチィをくれたオーストラリア人は腕に飛んできた石を受けてかなりの怪我。血が滴っている。
 芸は身を助けます。

 大岩は50キロの火薬にも負けず、知らん顔をしてまだ道に転がっていました。結局、岩を高巻いて歩いて越えました。
 バス代は半分返してくれたよ。




2010年8月9日(月)02:26 | トラックバック(1) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

新幹線運転士による韓国鉄道レポートまとめ

新幹線運転士による韓国鉄道レポートまとめ

なかなか興味深かった。暇なら読んでください。ちょっと古いけど。




2010年8月5日(木)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

飛行機内で靴を脱ぐ

オレ達は一般の人よりは飛行機に乗ると思う。そして少し気にかかることがある。それは飛行機に乗って座席に座るやいなや靴を脱ぐ人が多いことだ。別に臭いのことを言っているのではない。そんな人は旅慣れているように見えるが果たしてそうだろうか。
 飛行機は離陸と着陸の時間が一番危なくて、事故のほとんどはこの時間に起こっていると聞く。つまり離陸か着陸の時に事故が起こって不時着せねばならぬ時、裸足でズタズタになった機体(たぶん)や、脱出に成功しても爆発から逃れるためには荒れ地(たぶん)を走らねばならない。
 普段靴に守られてヤワな文明人の脚では無理だと思うぞ。
オレの女房もすぐに靴を脱いでいたのでやめさせた。今では離陸と着陸の15分間ずつは靴を履くようにしている。
確率は百万分の一らしいけど、当たるときは当たってしまうだろ。



2010年8月5日(木)03:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

メキシコはいい国

メキシコが楽しかったわけの一つはメキシコ人が親日だったこと。メキシコに行く前は、アメリカ人にメキシコ人は最低だ、と言われていたのに、なんだろうこの温度差は。のちにわかったが、メキシコ人はアメリカ人が大嫌いだそう。隣同士の国は仲がが悪い、昔からの領土問題を抱えているから。
そして日本人には場所と時間は違うがアメリカと戦った共感があるのでしょう。
アメリカはえげつない国で、メキシコから領土を奪ったとき、宣戦布告はせず、奇襲攻撃でメキシコ軍を撃破した。
これって真珠湾と同じですね。自分は宣戦布告無しで他国を攻めておいて、他の国か布告無しで攻めてきたら「アンフェアー」と言う。アメリカ人はおかしいと自分で思わないのかな。一度脳を手術してもらいな。




2010年8月4日(水)01:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

メコンを旅する2

メコンをさかのぼる旅での一こま。船長、機関長はバリバリ働いている。カメラを持ってあちらこちら歩き回ってわかった。でも新米の船員達はごろごろしている。文字通りごろごろ寝転んでいる。どうなっている、新米らしくもっと働けよと思っていたが、当然口には出さない。
ある時、メコンの急流にさしかかった、川幅が極端に狭まり、泥水がゴウゴウと音を立てて流れる。船のエンジンは激しい音を立てているのだが、前には進まない。どうなるのかな、と見ていると、あのごろごろしていた新米船員達は起き上がり、そのうち一人がロープを持って川に飛び込んだではないか。彼はなんとか岸にたどり着いた。その後数人の新米達が次々と飛び込み、5人が岸に着いた。そして彼らは協力しながら川上に向かう。ロープを引きずりながら。
急流を乗り越えたあたりで彼らは船に合図を送った。ロープを5人で引っ張りだした。どんどん引っ張ると鉄製のワイヤーが現れた。ナイロンのロープにくくっていたのだろう。そこにある巨木にそのワイヤーをくくり付け、彼らの仕事は終わった。その間、1時間位だろうか。船はそのワイヤーを利用して牽引し、無事に難所を越えた。
 すまん、君たちを怠け者だと思って。




2010年8月3日(火)03:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

メコンを旅する

 メコン川をタイから中国にさかのぼったことがある。
 メコンはチベット、中国から、ビルマ国境、ラオス、カンボジアを経てベトナムから太平洋に流れ込む大河。10年ほど前、中国に留学していたとき、「メコンを自由に行き来できたらいいなあ」と他の留学生達と話していた。それが可能になったのは2004年だった。留学時は可能になるとは思わなかった。
 さてその旅は、貨物船の空いた部屋を利用するので、豪華船の旅というわけにはいかないが、船室は質素であるがまあ清潔。食事は船員と一緒にとる。これは当りはずれがあるだろう。量は十分だ。私達は行きの船は見習いの船員が作ったので塩辛くて脂っこい食事だった。帰りの船は専用のコックさんが乗っていたのでとてもおいしかった。
 船員達は中国語以外話せなく、訛りもあるので意思の疎通が難しい。だからあちらからも必要以上に話しかけてこない。そしてどこの国でもの肉体労動者は同じ。つまりぶっきらぼうだが親切であることだ。トイレで電気のスイッチの場所がわからなくて困っていたらにこにこしながら近づいてきて、黙ってスイッチを点けてくれる。朝寝坊した我々のためにわざわざラーメンを作ってくれた。もちろん彼らの朝食ははるか以前に終わっていた。
 シャワーは一応あるのだが、メコン川と同じ色をしている。うーん、止めておこう。
 雨季のメコンは水量がすさまじい。船はなかなか遡上できない。下る時はは昼前に出て明るいうちに停泊、翌日朝は明るくなってから出発し、昼過ぎにタイに着く。上りは2泊かかる。夜遅く12時頃まで走り、朝は明るくなる前から出発する。停泊するのはどこかわからない場所。強盗に襲われそうな所。というか強盗に襲われ身ぐるみ剥がされ殺されて死体を処理されたら永遠に行方不明だろう。もちろんそんなことはない。でも一人で乗ったら心細いだろうなあ。
 雨季のメコンは雲が低く、船室の電気を消せば本当に何も見えない。話によると6月は蛍が見ることができるらしい。
 時間はかかるが、上りは面白い。船は4発の大型のサーチライトで上流を照らしながら真っ暗なメコン川をさかのぼる。まわりはジャングル。時々ラオスやビルマの草葺屋根の集落がサーチライトの光に照らさし出される。濁流の音とそれに負けないエンジンの唸り声、まるで「地獄の黙示録」の世界だ。ちょっと古いけど。




2010年8月2日(月)16:34 | トラックバック(1) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

メキシコは楽しかった

オレがメキシコに行ったのはもう25年も前。1985年、メキシコ大地震のあった年、この年はタイガースが優勝、日航機墜落、夏目雅子、タコ八郎死去、色々ありました。
メキシコに行く前に知り合ったアメリカ人に「メキシコに行くんだぜ」と言うと「やめとけ、良くない国だ」と。
行ってみなければわからない、と中古車を運転してでメキシコ進入、知っている人も多いと思うがメキシコは国境沿いはアメリカからは自由にいけるフリーエリアがある。テファナ等が有名ですな。第二国境から向こうは簡単に車で入ることはできない。書類不備(その車の名義所有人が先に日本に帰ってしまった。車自体は共同で購入)であちらこちらの第二国境件検問所ではねられ、ある検問所で奇跡が起こった。書類を作成してもらったのだ。
それから2ヶ月のメキシコの旅はたいそう楽しゅうございました。その話はまた次回。酔っぱらってキーボード入力がミスだらけ。ここまで打つのに30分位かかってしまったよ。

B19 地球の歩き方 メキシコ 2009‾2010 (地球の歩き方)




2010年7月26日(月)23:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

熊に会った話

昔、オレはクライマーだった。高い所が怖い、ダイエットのできないへたれクライマーだが。そんなオレだが妙に行動力だけはあったようで、突然、当時クライマーの聖地であるヨセミテに行くことになった。まあ現地でもへたれで岩を登るよりビールを飲んでいる方がいいや、と日々ビール腹を育てていた。
ある日、ビールが無くなったので夜9時まで開いてるスーパーでビールを仕入れ、しかしテント場に着くまで待ちきれずにビール(ミラーが好きだった)を飲みながら歩いていると直径が2メートルもある北米松(正式な名前は知らない。杉や檜のように真っ直ぐな松で、松葉がなぜか三又)に真っ黒な動物がぶら下がっている。高さは3メートルくらい。
おお、あれは何だ、と近づくとどうやら熊のようだ。ヨセミテでは灰色熊(グリズリー)は絶滅しているので、黒熊のようだ。日本のツキノワグマに近い種類。でも体重は100キロ位ある猛獣なので襲われたら人間なんてひとたまりもない。
しかし、酔っている人間は怖さを知らない。すぐ近くで熊を見続けていると、「何をしてる」と聞いてくる白人さん達(そのキャンプはほぼ95%は白人だった、そしてほぼ100%命知らずのクライマーだ)、指さすと、皆一瞬ぎょっとした顔をするのだが、強がって「ああ、熊か」と近寄っていく。そんなこんなで50人近い人が集まってわいわいとなった。
熊も災難だ。さすがにびびったようで木のもっと高い所に登ろうと動き出した。たぶん焦ったのだろう、滑って木の根元に落ちてきた。ドスンとね。
周りに集まっていた自称命知らずのクライマー達は蜘蛛の子を散らすように逃げまとった。
熊もパニックになり、大きな音を立てながらもう一度ツリークライミング。今回は成功してかなり高い枝にぶら下がることができた。
それを確認した命知らず達は苦笑いをしながら、言い訳をしながらまた根元に集まってきた。きっと「クライミングで死ぬのは本望だが、熊に襲われて死ぬのはかんべん」とでも言っているのだろう。
その後、レインジャーのけっこう可愛い女性が来て、我々を追い払いまいした。

U.S.A.ナショナルパークハイキング案内




2010年7月22日(木)01:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

モンゴルにて

今年の旅はどこに行こうか、と女房と話しているんだが、モンゴルも面白かったなあ、となった。大草原でのキャンプはなかなか趣があってよい。日本では経験できない、トイレに困るけど。一度川の近くでテントを張ったときは灌木林から多量の枯れ枝を運び、これで寝るまでのたき火の準備はOK、さあ飲もう、と酒瓶を出したらモンゴル人の運転手がその多量の枝すべてをたき火の中に投入した。突然の事に止める間もなかった。盛大な炎、熱くて近寄れん。4・5時間使う予定だったたき火はものの15分でご臨終。あわてて枯れ枝を拾いに走ったのはもちろんである。運転手にはオレらは小さな炎が好きなんだと釘を差したのはもちろんである。


2010年6月29日(火)14:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

添乗員はつらい

 旅先ではいろいろな仕事の人と会う。仕事ではなく個人の旅行の添乗員と飲んだとき、彼女が教えてくれた話。「関東人はね、本音を言わないの。私に、ありがとう、と言って会社に文句の電話を入れるの」「関西人はその場で文句を言うの。でも言われたらこちらもできるだけ努力するし、最後は、楽しかった、ありがとうと、言ってくれる。もちろん会社に文句の電話なし」「最悪なのは名古屋人。文句を言いまくり、会社にクレームの電話。現地ガイドも名古屋からのツアーはキャンセルする人もいるの」彼女はそんな客のクレームで仕事を強制的に休まされていたのだった。彼女は九州の人。


2010年6月29日(火)00:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

寝袋

テント、コンロ、次は寝袋かな。最初に買ったのは重く嵩張って、しかし値段は安く、けっこう暖かい化繊綿のシュラフだった。3000円くらいだったかな。初めての本格的登山、南アルプスの山小屋でけっこうポカポカで、気持ちよく寝ていたら、隣で先輩が大枚1枚を払って買ったモンベルの軽量シュラフで震えていたのが思い出す。
その後、サレワのダウンシュラフを買い、20年以上使ったなあ。ダウンのシュラフは長持ちです。お得です。
最近買ったのはこれ。小さくて軽いので旅行の時にバックパックに放り込んでおくと便利かな。

Lafuma(ラフマ) WARM'N LIGHT 600 4103 LFC1399



2010年6月28日(月)13:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

ストーブ

キャンプでの一番の楽しみは食事ですね。今は酒のほうが楽しみなんだが。そんなわけでクッキングストーブについて語ろう。まあ、たいした話ではないけど。中学高校時代はお金が無いので、たき火かせいぜいアルコールストーブだった。昔は普通に使い捨てのアルコールストーブが売っていました。大学のクラブで使ったのはホエーブス。灯油もガソリンも使える、丈夫なストーブです。でも少々重い。自分で買ったのはスベア123R。名器です。軽くて使いやすい。ただスェーデン製なのが原因なのか暑い季節に使うとガソリンタンクの圧力が上がりすぎ安全弁からガソリンが噴き出します。当然引火してテント内はパニックになり、退屈なキャンプの清涼剤となりますね。寒い季節は問題なし。
OPTIMUS(オプティマス) No.123R SVEA(スベア) 1104
その後コールマンのピーク1ストーブをよく使った。これは火力の調節がとても素晴らしく、とろ火が出来るし、最大火力はすぐにお湯が沸いた。今は名前が変わったようだ。
Coleman(コールマン) フェザーストーブ 442-726J
その後、MSRとかも使ったが、今はこれ。冬山以外は使いやすいし、日本中どこでもカセットガスを売っているしね。ちなみに中国やタイでも売っています。



2010年6月25日(金)00:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

テントが好き

昨夜、急にテントで寝たくなり、我が家から自転車で20分で行ける秘密のキャンプ地に行った。ここは車は入れないし止める場所も無いので普段もあまり人がいない。テントは昔、結婚する前に買った、ヨーレイカの一人用テント。かなり気に入っているが、結婚してからはあまり使っていない。防水のコーテングもぼろぼろだ。昨日は女房が実家に帰ったので、一人でキャンプと楽しんだわけだ。とはいってもテントを張り、小さな火を起こし、その火を見ながらワインを飲む、くらいしかやることはないけど。でも楽しかった。


2010年6月24日(木)21:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

海外で使う日本の携帯

今回は私がau、女房がソフトバンクを使用しました。auの場合、着信履歴が表示されないため、非常に不便です。料金の高い海外から「電話くれた?」とかけられません。少なくともトルコとタイでは表示されませんでした。
ソフトバンクは2国ともに表示されました。その上ソフトバンクはメールでその国の簡単な案内が来ます。英語ですが。
海外に着いてからの操作はほとんど差がありません。説明書にそって3回か4回キーを押すだけです。
そして私の持っているauはの機種は韓国では使えいそうです。説明書にありました。ソフトバンクは韓国全土では使えないがソウルでは可能とのこと。
海外で使う携帯はソフトバンクのほうがいいかな。



2009年2月15日(日)00:55 | トラックバック(0) | コメント(3) | レジャー・旅行 | 管理

カツカレー

昨日乗った中華航空、日本発の機内食、カツカレーだったので「おお、ラッキー」と思っ他のですが、
これまで食べた最悪のカツカレーでした。カレーに味がない、本当に全く味がありません。子供向きの甘いカレーのほうがまだしも、って味。
カツは薄いのはまあしょうがない、でもボール紙のよう。いやボール紙のほうが少なくとも歯ごたえがあるでしょう。
バンコクはすべて値上がりしてました。でも10バーツバーミーはまだがんばっていました。でも少し量が減ったかな。



2009年1月31日(土)12:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

一年に一度

メーコックビラの向かいの病院の1階にあるコンビニのカウンターに居るのは経営者の奥さん。中国系で中国語が少しできる。もちろん私らよりははるかにできる。
 そんな店に一年ぶりに顔を出すと
「あれ、前回はいつ来ました」と聞いてくる。
「ちょうど一年前だよ」
「え、もう一年。月日が過ぎるのは本当に早いのね」
全くです。早いなあ。



2008年2月12日(火)15:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

チェンライ

 昨日、着きました。朝晩はかなり涼しいのですが、日中は暑いですね。毎年来ているけど、欧米人多すぎ。こんな小さな町になぜでしょうか。
 



2008年1月21日(月)18:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

2007年

2007年の書き込みは2006年よりはるかに少ないなあ。私、パソコンの前に座るとネタが出てこないのです。歩いているときとかは過去の旅を思いだすのだけどね。


2007年11月14日(水)00:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

つらかった物語

 昔々のお話です。当時のアメリカドルは二百六十円、航空運賃はロサンジェルス往復、で二十万円近くしました。オフシーズン料金です。アルバイトの時給は六百円ぐらいの時です。アルバイトを二つ掛け持ちし、貯めたお金は六十万円と少し、航空券を買い、保険に加入し、アメリパスを買い(十万円くらいしました)、その他の出費でドルの現金は千ドルが精一杯でした。これで二ヶ月のアメリカの旅は当然の貧乏旅行。毎日所持金を計算し、残りの日数で割り、それより少ない出費で済ますわけです。とほほ。本当に苦しい旅でした。
 テント泊は当たり前、ヒッチハイクにバス移動泊、バス泊は時刻表を見て別に行くたくない町であってもそこを往復します。アメリパスは乗り放題ですから。
 このバス泊、何日も続くと欲望は「ああ、横になりたい、横になれるのなら刑務所に入ってもいい」となります。ある日耐えきれずに公園に行きました。アメリカの公園は「ここで寝るな」と立て札があります。あの国は厳しい国で、州によっては浮浪罪と呼ばれる犯罪があるそうです。だからあの国の浮浪者は立っているのだと聞いたことがあります。座ったり、寝ころんだりしたら逮捕されるらしい。日が暮れたらさすがに許されるようですが。
 その時、私の気持ちは逮捕するならしろ、死刑にはならないだろう、でした。それほど疲れ果てていました。精神的な物もあったでしょうけど。
 それでも少しは頭が働いたようで、公園の奥のほう、人が来そうにない所を選びました。初めての場所でしかも夜、場所を決めるのに悩み、結局ここにしょうと決定し寝袋を広げたのは夜中の二時をまわっていたと思います。
 寝袋にもぐりこみ、ああ嬉しいなあ、横になれたと幸福をかみしめ、眠りに入りました。しかし不安が頭のどこかにあったのでしょうか、眠りはそれほど深くはなかった様です。夜中に二人の若者が「誰か寝ているぞ」と言いながら枕もとを歩いて行ったのを憶えています。
 早朝に公園の掃除係のおじさんに叩き起こされました。六時頃だったと記憶しています。
「ここは寝たらだめなのだ」
 こんな時の英語はよくわかります。でも寝不足で起こされた私の頭は真っ白。自慢にはならないけど寝起きの悪さには定評があります。黙ったまま荷造りする私をおじさんはじっと見つめていました。あまりに私の仏帳面がすごかったのでしょうか、口調が優しくなってきました。
「どこから来たのだ。どこに行くのだ」
 私はそれにも答えませんでした。頭はまだ靄がかかったような状態です。もう少し寝たかったのに。
「さようなら」
 バックを担ぎ、手を振るとおじさんも手を振ってくれました。いい人のようです。



2007年7月6日(金)23:58 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

偽DVD

 中国は偽DVDの品質もよく安いのでよく買ったものだ。日本語のものが少ないのが悩みだけど。
でも最近は偽DVDの店が減った。取り締まりも多いらしい。
 で、地下に隠れたようです。路上でDVDを売っている小姐に聞くとつれていってくれるらしい。ほんとかな。
 数年前ちんけなDVD販売店で文句を言うと、2階にある地下部屋(変な表現)に案内された。そこには凄まじい量の偽DVDが。
 買いに来るのは地方の小売店のオーナー(たぶん)、一人で千枚くらい買って行きます。
 この地下部屋?に連れて行かれたら少なくとも五十枚くらい買わないとかっこ悪いです。



2007年2月19日(月)23:23 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理


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