今日も旅天気
 
アジア大好き。共産党は大嫌い。
 


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メコン川に川賊

 中国外務省は11日、中国人が乗った商船「華平号」と「玉興8号」が5日、メコン川でタイの武装勢力の襲撃を受け、船員12人が死亡し、1人が行方不明になっていることを明らかにしました。

 外務省の劉為民報道官は、この日の定例記者会見で、「雲南省善後対策本部は10日に事件が発生したタイのチェンセンに到着した。タイ駐在中国大使館とチェンマイ駐在中国総領事館は共同で、対応作業を行う」と述べました。

 劉報道官は、「中国とタイ双方は今回の事件を非常に重視している。タイ駐在の中国大使はタイ外務省に何度も真相究明捜査とその報告すること、効果ある措置を取ることを要請した。メコン川の関連流域を航行する中国船舶と船員の安全保障を強化するよう求めた」と述べました。

 タイ側は、中国に全力で協力し、事件の真相究明に尽力すると表明ています。同時に、メコン川の関連流域を航行する中国船舶の船員の安全確保に最大限の努力を払い、このような事件の再発を防ぐとしています。(ooeiei、高橋)

http://japanese.cri.cn/881/2011/10/11/141s181421.htm



----------------引用ここまで---------------------

この船には8年ぐらい前に乗ったことがある。ちょっと古いが地獄の黙示録」のようでとても面白かったのだが。

亡くなった船員さんに黙祷。



2011年10月13日(木)02:10 | トラックバック(0) | コメント(3) | 極東アジア | 管理

おばあちゃんの知恵袋

 日本人はな、お互い様やねん。     相手に一回譲ってもうたら、 今度は自分が譲るねん。  そうやって、うまいこと回っていくねんけど、『 あの人ら 』は違う。 一回譲ったら、つけこんできて、こっちはずっと譲らなあかん羽目になる。 それでも『あの人ら』は平気なんや。 カドたてんとことおもて譲り合うのは、 日本人同士だけにしとき。 そうせんと、『 あの人ら 』につけこまれ『 ひさしを貸して母屋を盗られて 』 日本がのうなってしまうからな。
 嫌われることばかりをしてる人を嫌うのは、差別やない。 差別、差別と印籠のように突き出してくる人間こそ 卑怯者の差別者なんよ。

----引用ここまで-----
あるところで拾いました。もう有名かもしれないけど。



2011年9月12日(月)16:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

ニンニク臭い韓国人

  韓国のコミュニティサイト、「ポムプ」の掲示板では、筆者が日本滞在時に感じた、日本人の体臭について感想を記した。それに対し、さまざまな意見が寄せられた。以下、韓国語による書き込みを日本語訳した。(  )内は編集部の素朴な感想。

―――――――――――――――――――――――

●スレ主:カタプラズマ

  以前に日本に住んでいたが、日本人の体臭がとても嫌で生活するのにひと苦労だった。夏になれば、特にその臭いが強く感じられ、日本人男性の10人中5~7人は臭う。 日本が高温多湿で、汗をたくさんかくからというのは理解できるが、我慢することは困難だった。日本に住んでいる韓国の人々には、一度もこの臭いを感じたことがなかったし。

  食べることが違うからという意見もあるが、私は日本滞在時に日本料理ばかり食べていたが、臭う事はなかった。また、日本の人々は香水もほとんど使わない。 だからだろうか。また、日本の人々は歯をよく磨かないのだろうか。会社で昼食後に歯を磨く人は、きわめて少数だった。

―――――――――――――――――――――――

●TransformHer
  そんなにひどいの?

●笑顔を検索する
  米国では韓国人はニンニクとキムチの臭いがひどいと言われるそうだが。メジャーリーガー時代、朴賛浩もそれで苦労したらしい。
(個人差があるのではないでしょうか)

●学んで男のランナー
  そうですか?私の知っている日本人の友人たちでそういう人はいなかったよ。日本人は男の子まで眉毛を整えるよ。
(美容面にも心配りをする日本人男性も増えていますね)

●ブトラ
  日本人は毛深い人が多いからかな。夏に電車に乗ると、臭う時がありますね。

●名無しA
  このスレこそウソ臭い。

●私はB
  私が香港で感じたことと似ていますね。そこもかなり暑い地域だから、夏に地下鉄に乗れば臭いがさく裂。勤務時間中に洗面所で歯を磨くと「ここが家?」とからかわれたし。

●パバンヌム
  スレ主の文章は、ごく一部を見て全体を判断するような種類の文章ですね。それで否定的なコメントも多いようだ。

●TheBrain
  私はスレ主と180度正反対の意見。むしろ日本では、デオドラント製品がコンビニの目立つ所に並べられ、たくさん売っている。そのようなところを、ひとつ取っても違うような。
(たしかに夏になれば、季節商品としてたくさん並びますよね)

●名無しB
  日本人も韓国人も大差ないよ。食べ物が違っていれば、お互いにそう感じるんじゃない?

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0819&f=national_0819_076.shtml

引用ここまで

 
たとえば、海外のホテルのロビーでまったりしていた時に韓国人が来たらすぐにわかります。強烈なニンニクの臭いで。君達は気づいていないのかい。本当に臭いんだよ。



2011年8月31日(水)01:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

半島は基地外だらけなのか

人種主義に対しては反人種主義的人種主義で敵対せねばならないと誰かが話したというが、日本の右翼を見るとその言葉を思い出す。彼らの悪い癖をまともに直そうとするならば、一度、彼らを植民地支配して、かつて自分たちが植民地支配した時、苦しんだ人々の境遇がどのぐらい悽惨だったのかを彼らも直接体験するようになるしかないのかも知れない。苦しめば苦しむほど痛みを理解できるという話は真理に近い。

稲田朋美という日本の女性国会議員が、自分を含む3人の自民党議員を空港で返した韓国に対して、日本も同じ報復措置と取ろうと扇動した。18日、日本右翼「産経新聞」の固定コラム「正論」で稲田は、「竹島は歴史的にも国際法上も我が国の固有領土だ。韓国が領有したことは歴史上ただ一度もない」としてこのように書いた。韓国のように日本も、日本の固有領土である北方領土(日本が自国領土だと主張する千島列島4島)と「竹島」(独島)を訪問した韓国の国会議員3人と閣僚5人に対して「我が国の固有領土に我が国の許可なしに侵入した」不法入国罪で日本への入国を拒否する対抗手段をとることができる!苦しんだだけ理解できるようになったのかも知れないが、1つだけ理解して、2つは理解していない。自分たちの直系先輩たちが数十年間、幾多の隣国のアジアの人々の膏血を絞って苦しめ殺し、今日の自分が、まさにその土台の上に立っているということ、「独島問題」というのもそこから派生したという事実自体に対する認識が全然ない。稲田は日帝の南京大虐殺も虚構と主張する。自分はされたことがなかったから。日本の敗戦で「光復」がなされた時、私たちには反人種主義的人種主義で人種主義を清算する機会があった。しかし、現実はその反対に行った。清算されたのは親日・植民地主義ではなく反日・反植民地主義だった。

いっそ、日本が独島や「北方領土」を訪問した韓国の人々の日本への入国を、本当に全て拒否してくれた方がいいだろう。そうして両国が報復措置に出て、ついには韓国と日本が独島問題で断交して、戦雲まで漂う、そんな事態にまでいっそ進んだ方がいいだろう。そこまでにはもちろん行かないが、そのようになったとしても、もう一度、約60年前の開始点に戻って、人種主義清算の機会を迎えたらいいだろう。 その時は、私たちのような植民地支配の被害者の北の同族と再び連合して、最近、再度往来することとなったもう一つの植民地侵略の被害者の中国、そしてロシアとも新しい次元の関係を結ぶのだ。そして、常にワンセットで動くアメリカと日本のみ眺めながら、飢えて死んで行く北の同族を、あたかも故障した自動人形のように絶えず罵り呪う、屈辱的で精神分裂症的な人種主義を清算して、最小限の均衡でも捜すのだ。外部加害者たちが、植民地支配と分断の原罪さえ、絶対悪と見なす北の滅びていく小国一つのせいにして、自分たちを善で化粧するこの変な時代をけりをつけることだ。

稲田と日本右翼たちに勧告する。もう少し右側に熱く駆け上がり、自らをアジアで徹底的に孤立させることで、あらゆる矛盾を量産したその悪しき人種主義を、きちんと清算する機会を作ってくれるように!

http://news.livedoor.com/article/detail/5817010/

引用ここまで


何も言うことはありません。さっさと日本と断交して下さい。お願いします。



2011年8月28日(日)19:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

2000ミリベクトル

週刊新潮によると喫煙による発癌リスクを放射能に換算すると2000ミリシーベルトになるらしい。
これからタバコのことを2000ミリシーベルトと呼ぼう、と思う非喫煙者の私なのであった。



2011年8月1日(月)01:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | 健康 | 管理

中国人観光客

俺の女房は土産物屋で働いているのだが、中国人が減ったのはうれしいと言っているぞ。かれrた中国人観光客は勝手に袋を開け、白木の下駄を汚い脚で履くらしい。白木の下駄ですよ、油の多い足で履かれたら売り物にならない。


2010年10月6日(水)03:29 | トラックバック(9) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

中国人は中国をどう見るか

おいら、昔、留学していた時、けっこう真面目に授業を受けていたね。自分で授業料を払っていたので当然かもね。

そんなある日、新聞講読の授業で「中国人は中国人をどう見るか」との新聞記事を教授が出してきた。
まあ、その記事は色々書いていたけど、

「中国人は礼儀正しくて謙虚」

が結論だった。我々の結論でないよ、新聞の結論ね。

教授がそこを読み上げたとき、スイス人、アメリカ人、シンガポール人、韓国人、もちろん私日本人高級班の生徒達は押さえきれず爆笑してしまったんだ。教授だけが不思議な顔をして我々生徒を見ていたのが今でも目に浮かぶなあ。



2010年10月6日(水)03:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

自転車のライト

狭い道で自転車にすれ違うとき、ライトを上に向けている自転車の多いなあ、目がくらむぞ。嫌がらせだろうか。


2010年10月5日(火)00:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | あれこれ | 管理

北海道

明日より3週間位北海道に旅立ちます。


2010年8月22日(日)00:59 | トラックバック(4) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

解放軍の時計

 中国に行った時、けっこう中国製の時計を買う。値段はけっこう安いし、かさばらない。まあ買っても二つか三つだけど。「上海ブランド」の時計、「毛沢東ブランド」の時計など、今では手に入れるのが難しい時計もある。
 そんな時計のなかで一番興奮したのは「解放軍時計」であった。思わず、海軍、空軍、陸軍と三つも買ってしまった。時計の値段は一つ3000円くらいと、決して安くはない。
 陸軍時計は文字盤が迷彩だったので、喜んで着けていたら、裏蓋の回りのメッキのところが錆びてきた。裏蓋自体はステンレスなので問題ないのだが、それ以外はメッキだったらしい。そのメッキもいい加減なメッキなので、つけて半年くらいで錆びだしたのだ。内部の機械は日本製のようで、時間は正確に刻んでいたのだが。
 海軍時計なら大丈夫だろうと、それに変更。でもこれも半年くらいで錆びだした。おいおい、海なら半月もたないぞ。それどころか手を洗ったら時計のガラスが曇った。問題外だ。
 中国、もっとましな製品が作れないの。



2010年8月14日(土)01:10 | トラックバック(1) | コメント(0) | あれこれ | 管理

パキスタンでの災難

パキスタンで未曾有の水害がおこっているとの報道で思い出した。もう十年以上前のパキスタンでのこと。ギルギットからイスラマバードまでバスに乗った。普通は20時間くらいかかるのだが(当時)、60時間かかってしまった。
 そのわけは、夏の雨季だったので道が崩れてしまったからだ。
 ギルギットを出て8時間ぐらいのところで道が無くなっていた。進むことが出来ない。川沿いの道なので川に向かって崩れ落ちたようだ。バスの運転手が「一番近い村に戻り、道が直るまでその村で待ちます」と言う。まあ妥当な判断だろう。狭い道なので何度も切り返してバスは引き返した、驚いたことにすぐ後ろの道が無くなっている。ほんの数十分の間に崩れ落ちたようだ。少しぞっとした。
 結局その場所でバスの座席に座って夜を明かした。食べるものも無い。まあ私はダイエットにちょうどいいな、と思っていた。夜が明けたが雨は降り続いている。雨が降っている間は道路の補修は行われない。危険だから。
 時間はどんどん過ぎていく。ああ、暇だな、傘をさしてそのあたりを散歩する。ついでにトイレも済ませた。
 白人の有志が崩れた崖を越えて食料を買いに行った。私はダイエット中なのでお付き合いしなかった。あとでチャパティを手渡された時、ダイエット中だからいらないと言うのも恥ずかしいのでありがたく頂いた。
 夕方に雨が小降りになり、作業員が出てきた。道を塞いだ大岩に発破をかけるようだ。
 最初の発破はしょぼかった。花火のよう。次のはかなりすごかった。でも大岩はびくともしない。
 近づいて見ていたら、パキスタン人の係員はにゃっと笑い、次は60キロだぜ、と親指を立てる。おお、素晴らしい。バスはぎりぎりまでバックし、人々もバスの後ろか中に避難した。
 が、なかなか始まらない。私は飽きてきたのでそのあたりをぶらぶら散歩していた。すると、突然の爆発。耳が痛いほどだ、爆破する前に合図しろよ、まったく。
 百メートル以上離れたバスの窓ガラスがビリビリ震える。破壊された岩が幾つも飛んできた。私はロッククライミングをしていたので、こんな場合飛んでくる岩を見て避けたほうがいいとわかっていたので、右に左に避けた。もちろん距離が有り、岩の勢いが無くなっていたからできたのだ。
 避け終わって周りを見渡すと、さきほどまでそ辺りに居た旅人達が全く居ない。皆大慌で走って逃げたのだろうか。でもやっぱり私が正しかった。私にチャパチィをくれたオーストラリア人は腕に飛んできた石を受けてかなりの怪我。血が滴っている。
 芸は身を助けます。

 大岩は50キロの火薬にも負けず、知らん顔をしてまだ道に転がっていました。結局、岩を高巻いて歩いて越えました。
 バス代は半分返してくれたよ。




2010年8月9日(月)02:26 | トラックバック(1) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

まさか!中国人を恨む民族が存在するとは・・

  私がカナダの小さな町でクリーニング店を経営していた時の事だ。町にいるアジア系住民は2つの中国人家族のほかに、3つの韓国人家族しかいなかった。その3つの韓国人家族のうち、主人が科学者の家族がいた。その科学者の奥さんは頻繁にクリーニングを利用してくれたうえ、同じアジア人として親近感があった。

  彼女はすでに退職しており、子供もすでに結婚していたため、暇をもてあましては教会のボランティア活動をしていたのだった。私が彼女と徐々に打ち解けるようになると、彼女は私に様々な質問をするようになった。私も何気なく、彼女の家柄についてたずねると、彼女の顔色が一変したのだった。

  彼女は韓国の田舎では相当なお金持ちだったそうだが、朝鮮戦争が勃発し、住んでいた土地が北朝鮮軍と中国軍によって占領されたのだという。そしてある夜、彼女の家に軍人が突入してきて、彼女の祖父や父、叔父を強制連行したそうだが、それが最後の別れになってしまったという。

  私は「連行して行った軍人とは北朝鮮軍の軍人か?」と尋ねると、彼女は私をにらみながら「あなたたち中国人だった。中国の軍人だった」と言い、続けて「当時、米国の戦闘機が毎日のように空爆していた。中国軍は前進するために、軍人と一緒に一般庶民の女や子供を一列に並べていたのだ。米国の戦闘機は一般庶民を空爆するわけにもいかず、やむを得ず引き返して行ったのだ」と語るではないか。私は彼女の話を聞いて言葉が出なかった。

  その後、私は「戦争は一般庶民にとっては残酷で恐怖であるが、なぜ韓国は北朝鮮を侵略するために戦争を起こしたのか?」と言うと、彼女は非常に驚いた様子で「我々が戦争を起こしたはずが無いだろう!北朝鮮が突然、38度線を越えて韓国に攻め入ったのであり、その北朝鮮を支援していたのがあなたたち中国ではないか!」と言うのだった。

  私は呆然としてしまった。私が学んだ歴史はそうではなかったはずである。そしてこの世界に我々が日本人を恨むのと同様に、中国人を恨む民族が存在していたとは全く知らなかったのである。

--------引用ここまで-------------

何も言うことはございせん。チベットはモンゴルははベトナムはウイグルはと小さくつぶやくだけでございます。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0714&f=national_0714_005.shtml



2010年8月7日(土)03:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

新幹線運転士による韓国鉄道レポートまとめ

新幹線運転士による韓国鉄道レポートまとめ

なかなか興味深かった。暇なら読んでください。ちょっと古いけど。




2010年8月5日(木)19:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

ベトナムはおいしいか

 よく雑誌や紀行本においしいベトナム料理なんて文がのるけど、本当だろうか。私の限られた経験(ベトナム行きは2回、計で1カ月半、ハノイには行かず)からするとおいしくない。限られ経験ではあるがサイゴン、ニャチャン、フエ等では有名な店にかなり通ったのだ。
 ベトナムでうまかったのは、素材をそのまま焼いたり蒸したりした店だ。それにレモンを絞って食べる。でもそれはベトナム料理と呼ばないだろう。
 今日読んだエッセイでもベトナムはサイゴンでコーヒーとフランスパンがおいしい、とあった。オレがサイゴンで食べたフランスパン、すかすかでおいしくなかったぞ。他の日本人の意見もほぼ同じだった。
 コーヒーは好みの問題もあり、一概に言えないが、フランスパンは違うだろう。フランスパンも好みの問題ではと言う人もいよう。でもクズ米や古米で炊いた米がまずいのと同じで、コーヒーなどの嗜好品と違い、主食たる米やパンは明らかにうまいまずいがある。これは万人共通の味覚だと思う。
 ベトナム料理、日本から行ったら生野菜も多く使うのでエキゾチックなのでおいしく感じるのだろうか。タイや中国から流れたらがっかりするぞ。
 だいたい味の素の使いすぎだし、素材も悪い。特に野菜が最低だ。流通が悪いのでそうなんだろうと思う。肉は生きたまま運べるので新鮮だ。新鮮すぎて堅くてとても食べられないこともあるけど。



2010年8月5日(木)18:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | 料理 | 管理

いつも虐められるのは少数民族

昔、中国人(漢族)と酒を飲んでいたとき、聞いた。

「文革の時はたいへんだったろうね」

「たいへんだったけど、少数民族をいじめて憂さ晴らしをしていたよ」

「その少数民族はどうした」

「さあ、知らない。たぶん自分より弱い民族をいじめていたんではないの」

中国のとある少数民族のことわざに

石を枕に出来ないように漢族とは友人にはなれない



なんてのがあったなあ。




2010年8月5日(木)03:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

飛行機内で靴を脱ぐ

オレ達は一般の人よりは飛行機に乗ると思う。そして少し気にかかることがある。それは飛行機に乗って座席に座るやいなや靴を脱ぐ人が多いことだ。別に臭いのことを言っているのではない。そんな人は旅慣れているように見えるが果たしてそうだろうか。
 飛行機は離陸と着陸の時間が一番危なくて、事故のほとんどはこの時間に起こっていると聞く。つまり離陸か着陸の時に事故が起こって不時着せねばならぬ時、裸足でズタズタになった機体(たぶん)や、脱出に成功しても爆発から逃れるためには荒れ地(たぶん)を走らねばならない。
 普段靴に守られてヤワな文明人の脚では無理だと思うぞ。
オレの女房もすぐに靴を脱いでいたのでやめさせた。今では離陸と着陸の15分間ずつは靴を履くようにしている。
確率は百万分の一らしいけど、当たるときは当たってしまうだろ。



2010年8月5日(木)03:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

メキシコはいい国

メキシコが楽しかったわけの一つはメキシコ人が親日だったこと。メキシコに行く前は、アメリカ人にメキシコ人は最低だ、と言われていたのに、なんだろうこの温度差は。のちにわかったが、メキシコ人はアメリカ人が大嫌いだそう。隣同士の国は仲がが悪い、昔からの領土問題を抱えているから。
そして日本人には場所と時間は違うがアメリカと戦った共感があるのでしょう。
アメリカはえげつない国で、メキシコから領土を奪ったとき、宣戦布告はせず、奇襲攻撃でメキシコ軍を撃破した。
これって真珠湾と同じですね。自分は宣戦布告無しで他国を攻めておいて、他の国か布告無しで攻めてきたら「アンフェアー」と言う。アメリカ人はおかしいと自分で思わないのかな。一度脳を手術してもらいな。




2010年8月4日(水)01:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

メコンを旅する2

メコンをさかのぼる旅での一こま。船長、機関長はバリバリ働いている。カメラを持ってあちらこちら歩き回ってわかった。でも新米の船員達はごろごろしている。文字通りごろごろ寝転んでいる。どうなっている、新米らしくもっと働けよと思っていたが、当然口には出さない。
ある時、メコンの急流にさしかかった、川幅が極端に狭まり、泥水がゴウゴウと音を立てて流れる。船のエンジンは激しい音を立てているのだが、前には進まない。どうなるのかな、と見ていると、あのごろごろしていた新米船員達は起き上がり、そのうち一人がロープを持って川に飛び込んだではないか。彼はなんとか岸にたどり着いた。その後数人の新米達が次々と飛び込み、5人が岸に着いた。そして彼らは協力しながら川上に向かう。ロープを引きずりながら。
急流を乗り越えたあたりで彼らは船に合図を送った。ロープを5人で引っ張りだした。どんどん引っ張ると鉄製のワイヤーが現れた。ナイロンのロープにくくっていたのだろう。そこにある巨木にそのワイヤーをくくり付け、彼らの仕事は終わった。その間、1時間位だろうか。船はそのワイヤーを利用して牽引し、無事に難所を越えた。
 すまん、君たちを怠け者だと思って。




2010年8月3日(火)03:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

メコンを旅する

 メコン川をタイから中国にさかのぼったことがある。
 メコンはチベット、中国から、ビルマ国境、ラオス、カンボジアを経てベトナムから太平洋に流れ込む大河。10年ほど前、中国に留学していたとき、「メコンを自由に行き来できたらいいなあ」と他の留学生達と話していた。それが可能になったのは2004年だった。留学時は可能になるとは思わなかった。
 さてその旅は、貨物船の空いた部屋を利用するので、豪華船の旅というわけにはいかないが、船室は質素であるがまあ清潔。食事は船員と一緒にとる。これは当りはずれがあるだろう。量は十分だ。私達は行きの船は見習いの船員が作ったので塩辛くて脂っこい食事だった。帰りの船は専用のコックさんが乗っていたのでとてもおいしかった。
 船員達は中国語以外話せなく、訛りもあるので意思の疎通が難しい。だからあちらからも必要以上に話しかけてこない。そしてどこの国でもの肉体労動者は同じ。つまりぶっきらぼうだが親切であることだ。トイレで電気のスイッチの場所がわからなくて困っていたらにこにこしながら近づいてきて、黙ってスイッチを点けてくれる。朝寝坊した我々のためにわざわざラーメンを作ってくれた。もちろん彼らの朝食ははるか以前に終わっていた。
 シャワーは一応あるのだが、メコン川と同じ色をしている。うーん、止めておこう。
 雨季のメコンは水量がすさまじい。船はなかなか遡上できない。下る時はは昼前に出て明るいうちに停泊、翌日朝は明るくなってから出発し、昼過ぎにタイに着く。上りは2泊かかる。夜遅く12時頃まで走り、朝は明るくなる前から出発する。停泊するのはどこかわからない場所。強盗に襲われそうな所。というか強盗に襲われ身ぐるみ剥がされ殺されて死体を処理されたら永遠に行方不明だろう。もちろんそんなことはない。でも一人で乗ったら心細いだろうなあ。
 雨季のメコンは雲が低く、船室の電気を消せば本当に何も見えない。話によると6月は蛍が見ることができるらしい。
 時間はかかるが、上りは面白い。船は4発の大型のサーチライトで上流を照らしながら真っ暗なメコン川をさかのぼる。まわりはジャングル。時々ラオスやビルマの草葺屋根の集落がサーチライトの光に照らさし出される。濁流の音とそれに負けないエンジンの唸り声、まるで「地獄の黙示録」の世界だ。ちょっと古いけど。




2010年8月2日(月)16:34 | トラックバック(1) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

危機一髪

 その時のことは今も鮮明に覚えている。人間の記憶とはどうなっているのでしょうね。使い古された表現ながら昨日の様に覚えています。それを思い出すたびに体が震え、喉が渇いてくる。あの危険な瞬間を乗り切ったのは全くの幸運だった。
 一九九六年の夏、私たち夫婦はメコン川に沿って自転車を走らせていた。メコンといっても中国内、雲南省を流れるメコン川、上流では僻地を流れる。チベット族やリス族等の多い地域だ。道はもちろん未舗装。大きな町(そのあたりでは)は町中だけ舗装している。車が来たら土ほこりで悲惨だが、当時は擦れ違う車も少なく、楽しい、しかし色々と少し辛い旅だった。
 田舎なのに食材に乏しく、でもなぜか肉は必ずあり、逆に野菜がほとんど無い。その中で青唐辛子は必ずあるので「青椒肉絲」は毎日食べた。雲南や四川の青椒肉絲はピーマンではなく青唐辛子を入れること普通だ。慣れたらおいしく、ピーマンでは物足りなくなる。ただ最近、四川でも都会ではピーマンを入れることも増えたので、必ず確認してね。
 中国では都会の飯店には数十種類の野菜があるのに、ここあたりは多くて3種類くらい。その野菜を炒めてもらう。たいていは白菜か、茄子。ある日のメニュー、青椒肉絲、麻婆茄子、白菜炒め。次の日、青椒肉絲、麻婆豆腐、キャベツ炒め。また次の日、青椒肉絲、茄子炒め、麻婆豆腐。青野菜が食べたかった。
 その日はメコンに沿った道をのんびりと走っていた。道はわずかな登りと降りを繰り返し、雨季でもありメコンは大河にふさわしい威容を誇り、その周りに点在する田畑、古い家屋、鮮やかな緑などが彩りを添えていた。かなり長いゆるやかな登りののち、一休みしようとうしろを走っているの女房を待っている、と一人の男が近づき何やら話しかけてきた。わからない、その時は中国語を習い始めて1年以上経っていたので、日常会話ならかなり聞き取れるようになっていたのだが。訛りがひどい。しかも彼は話し終えると、こちらが「再説一遍(もう一度言って)」と聞き返すまもなくきびすを返した。一体全体何だったのだろう、女房と顔を見合わせた。道はなだらかな下りになっている。ゆっくりと降りはじめた。その時我々の前を全力で走っている男がいる。中国人があんなに一所懸命に走るのを見たことがない、普通は考えられない。何かある。虫の知らせか、ふと左を向いてみると崖の中から煙が噴出している。同時に火薬の匂いもする。
「あ、発破をかけているな」
 うしろを振り向いて力一杯の大声で怒鳴った。
「走れ、全速力で走れ」
 同時に私も力いっぱいペダルを踏む。踏みながら後ろを振り返ると幸いなことに意思が通じたようで女房がすぐうしろを追走している。20メートルほど降ってほっとした瞬間、そしてちょうど私が再び振り向いた時、ポンという大きな音と共にに崖が破裂した。映画のような派手な音ではない。が映画のように人間の頭かそれより大きな石が十数メーターにわたって飛び散っているのを見てしまった。まるで映画「スタントマン」の一シーンのようだ。
 もし気づかずに坂道をのんびりと降っていたらどうなっていただろう。よくて重傷だ。中国の辺境だ、まともな医療機関もない。
 幸いなことに女房は爆発の瞬間を見ていない。オレはしばらくは悪夢にうなされた。女房はそんな夢を見ることがないようだ。まあ、よかったのだろう。




2010年8月1日(日)18:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自転車 | 管理


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