今日も旅天気
 
アジア大好き。共産党は大嫌い。
 



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チェンライ

快適です。夜は涼しくてビールを飲むのがつらいくらい。、ムーガッタも町中に1軒残っていました。69バーツ。キノコもあるし、おつまみもあるし、アイスクリームも、豆腐もあり満足。ビールは45なのに氷は15もするのは氷で儲けるため?


2007年1月23日(火)15:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

バンコクより

一昨日着きましたが、いやー日本人少ないですね。東アジア系は韓国人ばかり。それと大陸中国人の団体が。カオサンには居ないけど。
夜の8時半にカオサンに着いたのに「エロビデオ無くなった館」空き部屋ありでした。値段は昔と同じ400バーツ。ホットシャワー、エアコン付で快適。
夕食を摂りに行った「トラベラーズロッジ」がらがら。たまにくる客も日本人より韓国人の方が多いぐらい。
二人でビール7本飲んで食事。580バーツも使ってしまった。
今から北バスターミナルにチェンライ行きのバスの切符を買いに行きます。



2007年1月17日(水)15:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

カイラスへ6

 「そうです、これを這いずってでも登らなければコルラは完成しないのです。馬に乗って登ってもいいが、それではコルラが完成したとは他人に言えないでしょう。がんばって自分の足で登りましょう」
 とガイドブックにでも書かれていそうだけど、実際、馬にでも乗りたかった。何度も書くようだけど経験した者にしかわからない苦しさだ。

 苦しみながら歩き、テントを出発してから約四時間で私達は峠に立つことができた。ドルマラ(峠の名前、標高約五千七百メートル)は風も無く優しく我々を迎えてくれた。景色はよく見えなかったけど。
 下山を開始して、しばらくは快適な下りだったのだのだが、最初のテントで休んでいる時、天候が悪化した。雹を含む激しい風雨に正面から数時間打ちのめされた。登りの時と反対だ。川下から吹き上げる雹に体中が凍え、襟元等からから雹の溶けた冷たい水が進入してくる。ああ、仏陀が我々に与えた試練なのか。辛かったなあ。
 二泊目の宿に着いて、ストーブの前に座った時、心から素晴らしいと思った。暖かい火に、ポーターに、文句も言わず歩いた四人の女性たちに。



2007年1月5日(金)01:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

カイラスへ5

 ベッドで横になったがなかなか寝ることができない。足が痺れて筋肉が痛む。指で軽くマッサージしてみる。気休めにしかならない、筋肉は固まったままだ。こんなことで明日は大丈夫かな、と思っているうちに寝てしまったようだ。疲れているので酷いイビキだっただろうなあ。ごめん、ごめん。
 翌日、足の疲れは残っていたが、思ったほどではない。それより激しいガスでカイラスの北面見ることができないのが残念だ。六年前に見た時は声も出ないほどに感激した。 
 朝一番からコルラ最大の難所、ドルマ・ラへの登りが始まった。ゆっくりと歩き始めたが、ガスで道がわからない。回りはミルクのように真っ白だ。前回来た時は天気も良く問題なく道が見えた。しかし今日はよくわからない。
 戸惑っているとポーターのおじさんが我々をリードしてくれる。ありがたい。彼が居なかったら、登るのにもっと時間がかかっただろうと思う。
 登り始めて一時間、何回目かの休憩をとった時、同じ場所に休んでいたインド人巡礼者夫婦の女性が尋ねてきた。
「あとどのくらいかかるのだろうか。一時間位か」
「二時間くらいですよ」
 私の女房が答えると、インド人女性はああ、と天をあおいだ。
でもこの登り、普通に歩いて四時間位かかる。彼らのペースだと五時間くらい、つまりあと四時間位かかってしまうだろう。女房に聞くと、
「四時間位かかるなんて言える訳ないでしょう」
 ごもっとも。
 この苦しい登り、最後に絶望的な急な登りがある。天気が良ければ予め覚悟ができるのだが、その日はガスのため絶望が寸前まで見えない、そしてそれが眺めた時、ほとんどの人が小さな悲鳴をもらし、ため息をつく。
「ドウシテモコレヲノボラナイトイケナイノデスカ」



2007年1月2日(火)01:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理


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