今日も旅天気
 
アジア大好き。共産党は大嫌い。
 



2006年7月を表示

東チベット3

 バスは六時四十分に出発した。朝早いほうが、乗客は皆緊張して朝寝坊する者は居ないようだ。薄暗かった朝の風景は輝きだした。しかし、景色を楽しむ者は少なく、ほとんどは眠っている。車掌まで空いた座席で眠っているではないか。他の取り巻き連中も眠ってしまった。かわいそうに運転手は話し相手も無くさびしげに運転している。
 風景は昨夜とあまり変わらず、いかにもチベットらしい景色だ。ネパールでもラダックでも四川でも、チベット人に住んでいる所は似ている。ただこのあたりのチベット家屋は伝統的な平屋根ではなく、並トタンを使った切妻屋根や寄棟屋根の家屋が多い。雨が多いのだろうか。
 バスは順調に走り、途中で北京からの旅行者を拾った。拾った場所は湖が広がり、その奥に雪山が見える美しい所だ。カナダのロッキー山脈に似ている。カナダのほうがもっと規模が大きい。
 北京から来た旅行者は生意気にもニコンのデジタル一眼レフカメラを持っている。彼女は私の前、バスのエンジンカバーの上に大股を広げて座り、写真を撮りだした。私は彼女が邪魔で写真を撮ることができない。でも人のことは気にしない中国人、こちらのことは全く気にせず写真を撮り続けている。天気も悪いし、ガラス越しに撮ってもいい写真は撮れないので、私は写真をあきらめた。
 運転手、顔は怖そうなのだが、とても親切だ。彼女がいい写真が撮れるように数回車を停めてやった。
昼前に波蜜に着いた。このあたりはチベットのスイスと呼ばれているらしい。確かに巣晴らし風景だが、ネパールやパキスタンには規模で負けるなあ。残念。スイスは行ったことが無いので比較できません。ただ波蜜の町は絶対にスイスより汚いのは間違いない。ここで昼食、牛肉面をいただく。六元なり。
波蜜の町を出てからもしばらくは同じような景色が続いた。道も舗装されていて快適だ。道はどんどん下っていく。標高二千メートルくらいで河に突き当たった。ここで乗客は橋を歩いて渡った。しかしそれほど弱そうな橋には見えなかった。
 この橋を渡ってからしばらくはとても細い川沿いの道を走る。崖がせりだし、未舗装で所々道が崩れている。雨の時は走りたくない道だ。雨が降ってなくても背中にじっとりと汗をかいた。
 一時間ほどでその道を抜け、舗装された安全な道になった。ぐんぐん高度を上げ、四千五百の峠を越え、下ってしばらく走り道を曲がった途端、目の前にビル群が立ち並んでいる。こんな僻地になぜ。町の名は林芝。近づいて見るとほとんどのビルはまだ建設中で、建設を終わったビルも人影が少ない。西部大開発のお金がこんな所に使われているのだろう。箱物を作りたがるのは日本も中国のお役人も同じのようだ。だいたい観光以外まともな産業も無いこの場所にビルを作っても誰が入居できるのだろうか。
 まだ六時過ぎなのに運転手は、今日はここまでと宣言した。乗客の一人がまだ明るいのでもっと先に進もうと言うと、「俺の目が限界だ」と運転手。見ると彼の両目は真っ赤に充血していた。
 宿代五十元、トイレ、シャワー付き。ただしお湯は出ない。部屋はまあ清潔。登記をしようとしたらその必要は無いと言われた。外国人だとわかっているのかな。
 食事は宿の隣でとることになった。ビールを頼むと隣の商店で買え、とのこと。久しぶりのビールが原価で飲める。食事はとても量が多く、ご飯を食べることができなかった。味は良。
翌日の出発は七時、六時に起きるので十時頃に寝ることにした。疲れているのと久しぶりのビールですぐに寝入ってしまった。
 翌日七時、遅れてくる人はいつも決まっている。昼食休憩の時、トイレ休憩の時、必ず遅れてくるのは波蜜から乗り込んできた四人組の上海人、遅れても少しも悪びれることもなく、態度はいつも傲慢だ。中国中で嫌われているのがよくわかる。
 林芝からラサまで道は完全に舗装されている。車が急に多くなった。観光のバスや四輪駆動車以外は材木を積んだ車が異様に多い。道のあちらこちらで材木の検査をする場所がある。不法伐採が多いのだろう。
 検問があったが、ここでも運転手が書類を見せたら問題なく通過。公安は外国人の取締りより材木の取締りのほうに忙しいようだ。
 ラサの手前で五千超の峠がある。運転手は親切で写真を撮れ、と車を停めてくれた。峠の標識の前で記念撮影をしているツアー客らしい中国人。後ろに待っている人が大勢いるのに気にせず構図を決めている。思わず言ってしまった。「快点」
雪が降ってきたので車に退散。ここでも相変わらず上海人はなかなか戻ってこない。
 峠を下った四時過ぎ、突然後ろに座っていたチベット人たちが騒ぎ出した。「ポタラ」「ポタラ」と。見ると小さくポタラ宮殿が見える。
 長かった四日の旅は終わった。

 でもこの先、二週間以上かかる聖カイラス山への旅が待っている。



2006年7月28日(金)16:07 | トラックバック(0) | コメント(3) | 旅行中 | 管理

東チベット2

 予想通り、ハエが顔にとまり、歩き回るいやな感覚で目が覚めた。「五月蝿い」というのはハエの羽音ではなくこの事を言うのではないかと思う。
 バスは九時過ぎに出発した。九時出発でも寝坊する人は居たようで、彼は寝ぼけ眼でバスを追いかけてきた。別にバスは彼を残して行こうとした訳ではなく、ターンしようとしただけなのだけど。
 川沿いの悪路をバスは走る。幸い、雨は止んでいた。道はブルが修理を終えたばかりのようで、道に落ちた岩に困ることも無く、陰気な道を走った。峠を越えたとたん、緑が目の前に広がった。灰色から緑色への鮮やかな交代だ。なぜ峠の南に緑が少ないのだろうか。謎である。
 モンゴルの場合は、山の北斜面にだけ木が生えている。それは激しい乾燥で、北側の斜面のみ残る雪の水分でようやく木が水を得ることができるから。しかしここは違うだろう。
 緑豊かな道をバスが走る。やがてぽつりぽつりと家が見え、しばらく走るとマルカムの街に着いた。時間は二時をまわっていた。遅い昼食だ。バス停に着くと大勢の人がバスを待っており、バスの乗車口に集まってきた。座席を取られたらかなわない。座席の上に水筒やビスケットの袋等を置いてバスから出た。二時過ぎなので飯屋はどこも休憩中だ。仕方なく小籠包を買う。5元なり。中国で小籠包といったら小さな蒸籠で蒸した包子のこと。スープは入っていません。ちなみにスープ入りの包子は「湯包」と言います。
 バスに戻ったら案の定、前から乗っている乗客と新たな客が座席でもめている。こんな場合は座ってしまった者の勝ち。私らの席は大丈夫だった。
 バスは三時半ごろマルカムを出た。新たな乗客の荷物の積み込みに時間がかかったから。席は満席になった。新たな客も半分は旅行者、半分は出稼ぎか、地元の人のようだ。
 マルカムを出てからはいい景色が続く。自転車で走ったら面白いだろうなあ、と思っていると、やっぱりいました、自転車野郎。聞くところによると世界のサイクリストの間でチベットを走るのは一つの憧れだという。景色もいいし、治安もいい、食料も手に入りやすい、確かに自転車にはいい所かも。
 素晴らしい景色を楽しんでいる間に車は高度を稼ぎ、五千ちょっとの峠を越えた。峠を越えたら景色が変わるのが楽しい。
 左貢に着いたのはもう暗くなりかけていた。そこから八宿まではこの旅行中、唯一景色を見ることができなかった。残念である。途中でチエックポストのようなところがあったが、人がいなかった。八宿に着いたのは深夜の一時半。出発は六時半。ベッドに寝転んだらすぐに朝になった。



2006年7月28日(金)16:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

東チベットの旅1

非常に楽しかった旅でした。でもかなり疲れました。お尻が痛くてたまらないよ。

 香格里拉でチケットを買う時、売り場のおばさんが怪訝な顔をして「あなたらどこから来たのや」と尋ねてきた。「福建からだ」と答えたのだが、おばさんは疑わしそうな顔で「黙っていたらわからんなあ」とかつぶやきながらチケットを売ってくれた。ばれたのかな。
 出発の二日前に買ったチケットの席番号は一番と二番であった。

 当日、九時前にバス停に行く。雨が降っている。あまりよくない。悪路が多いので雨が降るとすぐに道は不通になる。やむ様子はない。宿の主人によると、塩井から上流の道はかなり悪くて、道がすぐに不通になるらしい。
 客は思ったより少なくて、十数人くらいだ。そのうち旅行者は半分くらい。後の半分はラサに働きにでも行く人々なのだろうか。
 時間通りにバスは出発した。運転手はチベット人だ。赤ら顔の少々怖い顔をしたおっさん。助手はまだ若い。彼もチベット人、彼は運転ができないようで、運転手は交代することがなかった。
 香格里拉を出て少し走ったら修理工場に入った。あれれ、と思ったら修理は三十分ほどで終了。長距離を走るので気になるバルブを閉めなおしたようだ。その後バスのトラブルは特には無かった。
 バスは普通に走って、途中の食堂で昼食をとり、四千超の峠を越え、徳欽に着いた。この町は十年ぶりだ。町はかなり大きくなっている。十年前に泊まった宿はもう無かった。
徳欽を出てすぐ、飛来寺の手前にチエックがあった。運転手の書類を検めたのと、学生のボランティアが車内に麻薬撲滅の小冊子を配っただけであった。
 徳欽から塩井までの道は川沿いの悪路を走る。緑も少なく、陰気な道だ。雨も激しくなってきた。その道を自転車で走っている者が七・八人居た。中国人のようだが日本人かもしれない。時間はもう八時を過ぎている。少々無謀だな、と思う。荷物は少なそうだ。テントを持っているのだろうか。たとえ持っていてもこのあたり、テントを張る場所も無い。次の村までは一時間以上かかるだろう。もうすでに薄暗くなりかかっている。
 九時前に上塩井で夕食。ここで泊まるのかと思ったら、運転手はあと百数十キロ走ると言う。マルカムまで走るのか。今日中にマルカムまで行けば後が楽になるなあ。
 真っ暗な川沿いの道を走り始めて二十分、道が崩れた土砂で塞がれている。バスはターンすることもできない細い道だ。真っ暗な道をバックで走るのも無理だろう。どうするのか、運転手は携帯電話を取り出して、何やら話している。客の一人が状況を聞くと「ブルドーザーを呼んだので、少し待て」と言う。「先に進むのか」と問うと「この先の道はもっと悪くなっているだろう。ブルが道を直したら、少し走ってターンのできる所があるので、今日は塩井に戻って泊まる」
 携帯電話でブルを呼ぶ、便利な時代になったものだ。

 ブルを待っている間も、崖から小石が絶えず落ちてくる。かなり恐ろしい。ブルは四十分ほどで到着。あっさり道を掃除してくれた。ターンして「納西郷」という町に戻ったのは十一時を過ぎていた。
 明日は何時に出発するのか。運転手は「どうせ道を修理するのに時間がかかるので九時にする」と言う。おお、ゆっくりと眠ることができるなあ。
 宿でまた一悶着、ベッド二十元、一部屋五十元の三ベッド部屋が高いと一部の乗客が騒ぎ出した。旅行者にとっては高い部屋ではないのだけど、出稼ぎに行く人々にとっては高いのだろう。その騒ぎを聞きながら五十元の部屋に入る。まあ、昔の中国を思い出させる素晴らしい部屋であった。トイレの便器は壊れて水が出ない。トイレのゴミ箱には前の宿泊客の汚物があふれている。便座は汚れていて座る気もしない。部屋はハエが多い。明るくなったらこいつらが目覚ましの代わりやなあ、と言いながら十二時頃就寝。



2006年7月28日(金)16:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

china yori2

 23日発のラサ行きを、今日買ってきました。値段は五百元と保険代十六元でした。座席番号は1と2でした。三泊四日ほどかかりそうです。
 宿の主人によると先月、日本人十人とイスラエル人五人が捕まり、強制送還されたそう。私らは身分証があるのでだいじょうぶでしょう。 



香格里拉で泊まっているのは「竜門客セン」だ。ドミ二十元。場所は旧市街の近く。
 久しぶりのこの町、すごい変化に笑ってしまいそうだ。傾いて崩れかけた家しかなかった旧市街はまるで麗江の「四方街」のようにきれいになっている。店なんて無かったのに今は土産物屋と旅館だらけ。そのうえ麗江のまねをした「四方広場」では夜は踊りをやっていた。その上、昨夜は「火把節(松明祭り)」だったので、松明を振り回している人民も多く、道もまともに歩けないよ。



2006年7月21日(金)16:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

china yori

 どうやら今回の旅は交通機関に祟られているようだ。
 大理から香格里拉に行くバスは、どうやら客が少ないので間引かれ、十一時の一本だけになった、と思う。最近の大理は観光で麗江や香格里拉に負けているようで、かなり客が減っているようだ。麗江から香格里拉に行くバスは多いのに。
 その数少ないバスは六人の客を乗せて大理を出発した。途中で五元や十元の客を拾い、まるでローカルバス。まあ、運転手の生活もあるし、しかたない。
 もうすぐ橋頭という所の曲がり角でバスは何かを引っ掛けた。運転手も車掌のお姉さんも「あれ」って感じだったが、たぶんごみの袋でも引っ掛けたのだろうとでも思ったのか(私はそう思った)停まることもせずせず、そのまま車を走らせた。橋頭の手前でトイレ休憩を取り、橋頭の町で数人の観光客を拾い、建物が途切れ始めた三差路に公安官が待っていた。
 運転手はもちろん、車掌の女性もパニックになり「お金を返すから」と言いながらパトカーに先導されてどこかに行ってしまった。私ら夫婦はどうしたらいいのだろう。
 客の中国人があちらこちらに電話をかけてくれて、どうやら次に来るバスに乗ればいいとわかった時には1時間以上が過ぎていた。
 来たバスは、人民バス。満員で車内は煙草の煙が充満していた。「禁煙」と書かれているのだけどなあ。
 一番後ろの席に座り、五人席に六人、狭いよう。煙草は臭いし、前に座っている人民からは異様なにおいがするし、とても素晴らしい二時間でした。
 香格里拉のバスターミナルは町の郊外に移っていました。



2006年7月21日(金)16:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

大理から

 昨夜遅く大理に着きました。こちらはずーっと雨です。激しくは降らないけど、じっとりと降ってます。
 バンコクを出発する時から時間に負けていました。バンコク中央駅を出発する電車は30分以上遅れ、飛行機は時間通りだったけど、昆明から大理のバスは出発が30分遅れ、その上昆明市内の高速道路が数日前に破損した結果、昆明を出るのに1時間以上かかりました。下関に着いたのは11時頃、タクシー35元でたどり着いた大理の街は人も少なく、宿を決めたときは12時前でした。宿は第3招待所、2段ベットのドミで20元。きれいで、電気毛布も枕元電灯もあり、悪くない。トイレの数が少ないのが難。
 今は菊屋からです。明日の朝、シャングリラに向かいます。



2006年7月19日(水)19:28 | トラックバック(0) | コメント(1) | 旅行中 | 管理

明日、昆明

 タイで取る中国のビザ、目的地をたくさん書いておくと60日もらえます。90日は無理なよう。4日目に受け取り、1100バーツです。
 今日、受け取ってきました。地下鉄ラマ9駅で降り、歩いて5分ほど。申請手続きは待ち時間も含めて1時間ほどです。写真1枚。ビザセクションに入ったらすぐに番号札を取りましょう。入り口のすぐ脇にあるのですが、人が多いと見逃してしまいます。申請時間は9時から11時半まで。簡単です。

 明日の昼11時の飛行機で昆明に向かいます。バスがあればすぐに大理に行く予定。昆明は帰りにゆっくりするつもり。

 今日はムーガッタです。



2006年7月17日(月)14:18 | トラックバック(0) | コメント(1) | 旅行中 | 管理

いいかげんにしろ大韓航空

 海外に旅する場合、最近はほとんど飛行機を利用する。当たり前である。日本の場合、他に船以外の選択肢は無く、船を利用するのは暇も金もある人たちか、暇はあるが金に苦しんでいる者達だろう。後者の場合、中国に行くのに船を利用して費用を抑えることができる。ただ最近は昔ほどのメリットは無くなったけどね。航空券が安くなったから。
 その飛行機で苦労した話を二つほどしたい。最初の話はもう二十年近く前の西安から広州に行った時のこと。当時の中国は国内線でも2時間前に来い、と要求していた。飛行機の出発は六時半、真っ暗なうちから前日に頼んでおいたタクシーに乗り、飛行場に着いた。手続きはすぐに終わり、待合室でぼけっと待っていた。
 当時の西安の空港は今より町に近く、朝は霧のかかることの多い空港だった。案の定空港は深い霧の中にあり、飛行機はいつまでたっても飛ばない。八時、九時、飛ばんぞ。お腹はぺこぺこだ。機内食を食べることができるだろうと朝は何も食べていない。
 十二時頃、カートに入ったパンを服務員が押してきた。ああ、ありがたい、一つを手に取ると服務員は言った「二元」。ふざけるな、同じものが町では五毛だ、4分の1だぞ、ひどい話だ。しかし「いらんわい」とパンをカートに叩きつけるしか抗議の方法が無い。
 飛行機が離陸したのは二時を超えていた。ああ、これで機内食を食べることができる。うれしいな。あ、ピーナッツとオレンジジュースを配っているぞ。ジュースはかなり粉っぽいけどまあ、ここは中国しかたない。機内食はいつかな♪なかなか始まらないな  あ、カーテンがレールからちぎれてぶら下がっている奥は配膳室かな。上下、地味な服を着たスチュワーデス、もとい服務員、おばさんばかりだな。まあ、機内食さえ配ってくれたら誰でもいいよ。
 遅いなあ、あ、飛行機が下降を始めたぞ。あれ見えるは広州かな。初めて見るけど、空腹で目がかすんでよく見えないよ。
 ああ、広州に着いちまったぜ。ほんまかいな。2時間以上飛んで、粉ジュースと油の回ったピーナッツだけかい。
しかたない、今回の機内食、中華民航につけておく。いつか返せよ。

 でも一言、「中華民航の馬鹿野郎」
 ツケはまだ返してもらっていない。

 もう一つのトンでもないキャリアは大韓航空、時期は一九九七年くらいだったかな。韓国がバブルで潤っていた時。このミニバブルが原因でひどい目に遭ったのだけど。
 その時はシンガポールからソウルまでの便だった。飛行機が離陸して機体が安定した時、スチュワーデスが最初に始めたのが免税品の販売だった。飲み物も配らずに?
 バブルでお金に余裕のある韓国人の客たちは札束を頭上に振りかざし、スチュワーデスを呼ぶ。漫画みたいだけど本当の話。機内のほうが空港より安いのか、あるいは空港には十分に品物が無かったのか、延々と免税品の販売を続けるスチュワーデス達。ニコニコして。
 その時の私は原因不明の熱病を発症していた。「デング熱」と後でわかったのだが四十度を超える熱でふらふらだった。女房が水を頼むと。「チッ」と舌打ちをしたスチュワーデスは水を持ってくることは無かった。女房は直接配膳室に行き、小さな水のパックをもらってきた。それもカートが通路を占領しているのでとても時間がかかった。
 飛行時間の約五時間、延々と免税品の販売をし、機内食はおろか、飲み物も配ることの無い飛行機はソウルに着いた。どうなっててるの、大韓航空。
 何年か後、JALに勤めている人と話す機会があった時、聞いてみた。彼によると大韓航空のスチュワーデスは免税品の販売がボーナスに反映するらしい。にこにこしていたのはそのためか。
 JALは違いますよ、と彼は力説しておりました。



2006年7月15日(土)15:39 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

祭日

 中国のビザ、月曜日に申し込めば、今週中に取れると計算していたのだが、月曜と火曜日が祝日でした。残念。
 今日、申し込んで来ました。受け取りは月曜日。火曜日に昆明に飛びます。まあ、30日までにラサにたどり着けるでしょう。天候次第ですが。
 
 中華航空、値上がりしてますね。24000バーツ。あと一回往復すれば無料航空券がもらえるのだ。今回は我慢して買おう。
 タイ、昆明往復は45日フィックスで10170バーツ。こちらも値上がりです。TGなのでマイレージカードを作りました。



2006年7月12日(水)17:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

バンコクから

 昨日、着きました。名古屋で飲みすぎて睡眠不足で飛行機の中でも機内食意外は寝てました。でもサッカーは見ました。
半部寝てたけど、なぜかゴールのときは目覚めてました。不思議だ。
明日中国のビザを取りに行き、チケット屋めぐりかな。
今日はもちろんムーガッタです



2006年7月9日(日)14:09 | トラックバック(0) | コメント(2) | 旅行中 | 管理

明後日、バンコクです。

 明日、名古屋の友人宅、明後日、中華航空でバンコクに着きます。
 予定では昆明に飛行機で飛び、そこから陸路でラサを目指します。その後、カイラスに行く予定。
 たくさんお金tがかかるだろうけど、お金には変えられない経験でしょう。
 途中経過をこのブログで書きたいと思います。
 ご期待ください。

 中国は日本語が書けないネットカフェが多いのでローマ字になるかも。



2006年7月7日(金)01:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

思い出した

 きょうの「トレビア」を見ていて思い出した。

 まだ伊丹空港が国際空港だった頃の話だからかなり前のことだ。フライトの時間が昼過ぎだったので昼飯でもしょうかと、空港内のレストランに入った。私ら夫婦が何を頼んだか忘れたのだけど、店内にいるほとんどの人が頼んでいるのはサンドイッチかカレー、せいぜいカツ丼くらいだった。
 あ、思い出した。私らはビールを頼んだ。
 これから行く香港に思いをはせ、ビールを楽しんでいると、墨染め衣を着た四人が入ってきた。一人は五十歳くらい、他の三人は三十歳前後だろう。座ったすぐに、年長のじじいが言った。
 「ステーキとビール」
 店内に居る客、二十数人の目線が集中するのを無視して、あるいは感じずに、四人は墨染めの衣装を着たまま、ステーキを齧り、ビールをあおった。若い三人はさすがに少々恥ずかしそうではあったが。
 坊主、が肉や酒を楽しむなとは言わない。本当のところは、僧侶が肉食、飲酒、妻帯をするのはおかしい、少なくとも僧ではないと思っているのだけど、それは他の機会に書きたい。
 墨染めの衣装を着ていながら肉食飲酒をし、他の人からどう思われても平気な時点で、宗教者として終わりだと思う。隠れて肉食飲酒するのも問題だろうけど、少なくともかわいげがある。
 こんなおっさんが自分の檀家の前で偉そうに説教するんだろうなあ。
 写真を撮っておくのであった。残念。
 



2006年7月5日(水)23:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 宗教 | 管理

イラク三馬鹿

 そうそう、市民団体の集まり、講師の一人はあの「郡山総一郎」さんでした。あの事件、我々の税金をたっぷりと使ったあの拉致事件ですっかり有名になったあの方です。
 写真を見せながら、言っていることはまったくの左翼。録音してたらよかったかな。たとえばカンボジアでロリータを買っている連中の80パーセントは日本人だとか、ソースだせよ。
 アフガニスタンの地雷の話、中国で作られた地雷だとは絶対に言わないのはお約束。
 日本とアメリカを悪く言うのもいつものこと。

 でも下品な私の興味は講演料は幾らかな、です。



2006年7月5日(水)05:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 政治 | 管理

宗教の自由

 中国に留学し、学期の始まる前にオリエンテーションがあった。その時、新しい留学生は10人くらいだっただろうか。外事科のえらいさんの話を英語学科の生徒が英語に訳してくれた。彼女も勉強途中なのであまり英語がうまくない。簡単な単語や熟語を使うのでよく聞き取れる。
 そのうち、宗教の話になった。
 「わが国は宗教の自由は保証されてます」
 え、そうだったのか。知らんかったなあ。
 「だからお祈りは教会かお寺でやってください」
 お、おかしいなあ。
 「お祈りは自分の部屋でやってもかまいませんが、中国人が居る時はだめです」
 「布教は絶対にやめて下さい。禁じられています。あなた達の資格は学生です。布教活動は資格外活動となり、不法行為で、国外退去の可能性があります」
 全然、自由じゃないぞ。



2006年7月3日(月)21:38 | トラックバック(0) | コメント(2) | 極東アジア | 管理

うーん、

 辛淑玉
「私はずっと不思議に思っていることがあって、右翼の子供はちゃんと右翼になるじゃないですか。それなのに左翼の子供の少なからぬ数が見事に「右翼」になるでしょう。あれはなぜだろう」 
 上野千鶴子
「あたりまえだと思う。左翼はタテマエの思想、右翼はホンネの思想だから。外国人と仲良くしましょうってタテマエの思想、嫌いだから出てけっていうのがホンネの思想なのよ。タテマエは、非の打ちどころの無い、後ろめたいところの無い人が言わないと、タテマエがタテマエにならない。
 ところが、大概の人が、非の打ちどころがいっぱいあってタテマエを言ってる。それをいちばん鋭く見抜くのは子供でしょう」
 なるほど、筋金入りの左翼が言うのだから間違いないでしょう。
    日垣隆 「どこからでもかかって来い」から

 昨日、仕事中に読んで笑ってしまった。昨日の仕事は左翼市民団体の年に一度の集会の手伝いでした。皆、お題目のように「憲法9条」「憲法9条」と唱えておりました。
 憲法で、殺人も、暴力も、窃盗も、いじめも、すべて禁止したらそれらは無くなるのでしょうか。頭の中がお花畑でしょうね。お金持ちっぽいの奥さんが多かった。



2006年7月3日(月)18:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 政治 | 管理

結核

 また来ました。要再検査の通知が。今度は結核の可能性があるそうです。今日、保健所に行ってきました。レントゲンの直接撮影を行い、お医者さんから直接の説明。
 なーんもないそうです。間接撮影の時何かの影(服など)が写ったのだろうとのこと。
 お金はかからなかったし、すぐに結果が出たのでまあ、いいか



2006年7月3日(月)12:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 健康 | 管理

風の森

 封を開けた日は少々甘いなあ、と感じたのですが、翌日、甘みが減って心地よい酸味がほんの少し増していました。栓を開けたとき空気が噴出したのは、どうやら酵母がまだ生きているようだ。要冷蔵の生酒です。
 本当にうまいよ。おすすめ。



2006年7月1日(土)23:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | お酒 | 管理

金剛山歌劇団

 今日の仕事は「金剛山歌劇団」の公演の手伝い。最近は日本海側の自治体から軒並み会館を貸すのを断られ、仕事がかなり減ったそうです。まあしかたないでしょう。
 右翼からの圧力は、昔は街頭車だったのですが、最近は朝鮮総連の幹部や、歌劇団幹部のスキャンダル、たとえば愛人問題、脱税、横領等を調べ、次の公演を中止しないと公表する、と脅してくるそうです。右翼も陰湿になったと嘆いていました。



2006年7月1日(土)00:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理


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