今日も旅天気
 
アジア大好き。共産党は大嫌い。
 


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歌舞伎

今日の夜、関西テレビで中村勘三郎襲名披露の記録の放映がありました。最後は南座でしたね。テレビではかっこよく映ってましたね。まあ、悪い人ではないのでしょうけど。
一部の裏方に勘三郎さんはは「怒りの勘三郎」と言われているそうです。文句が多いし、舞台の裏で弟子を殴る蹴るもたびたび。熱い人のようです。それだけ芸にまじめなのかもしれません。
南座も嫌いなようですよ。客の入りが少ないので。



2007年3月10日(土)01:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 京都 | 管理

歌舞伎

 昨日と一昨日は夜の12時まで仕事。
 今日はやっと7時半に終わりました。明日は初日で1回公演。
 出勤は3時、ああうれしい、昼まで眠ることができるぞ。
 しかし、歌舞伎役者の御曹司たち、気味が悪いほど似てるなあ。親戚同士での近親婚の結果でしょうか。
 私自身は世襲制のこの世界が好きではありません。おかまも嫌いだし。



2007年3月2日(金)01:50 | トラックバック(0) | コメント(1) | 京都 | 管理

偽DVD

 中国は偽DVDの品質もよく安いのでよく買ったものだ。日本語のものが少ないのが悩みだけど。
でも最近は偽DVDの店が減った。取り締まりも多いらしい。
 で、地下に隠れたようです。路上でDVDを売っている小姐に聞くとつれていってくれるらしい。ほんとかな。
 数年前ちんけなDVD販売店で文句を言うと、2階にある地下部屋(変な表現)に案内された。そこには凄まじい量の偽DVDが。
 買いに来るのは地方の小売店のオーナー(たぶん)、一人で千枚くらい買って行きます。
 この地下部屋?に連れて行かれたら少なくとも五十枚くらい買わないとかっこ悪いです。



2007年2月19日(月)23:23 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

チェンライ

チェンライに来るようになって何年経つのだろうか。10年くらい。あるいはもっとだろうか。よく覚えていない。毎年のように来るようになったのはその位だったかな。最初のころは殆ど居なかった旅人もとても多くなり(長期滞在の日本人は昔からそれなりに居た)市場で買い物をする白人を見かけるのも珍しくなくなった。ナイトマーケットなんて白人のツーリストだらけだもんなあ。街中に小さいが外国食品を置くトップスも開店し、薪を使う本格的なピザ屋もできたし、洋食の店も増え日本料理店も2軒ある。ネットカフェの速度も早くなった。便利になったものである。


2007年2月4日(日)14:19 | トラックバック(0) | コメント(3) | 旅行中 | 管理

チェンライ

快適です。夜は涼しくてビールを飲むのがつらいくらい。、ムーガッタも町中に1軒残っていました。69バーツ。キノコもあるし、おつまみもあるし、アイスクリームも、豆腐もあり満足。ビールは45なのに氷は15もするのは氷で儲けるため?


2007年1月23日(火)15:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

バンコクより

一昨日着きましたが、いやー日本人少ないですね。東アジア系は韓国人ばかり。それと大陸中国人の団体が。カオサンには居ないけど。
夜の8時半にカオサンに着いたのに「エロビデオ無くなった館」空き部屋ありでした。値段は昔と同じ400バーツ。ホットシャワー、エアコン付で快適。
夕食を摂りに行った「トラベラーズロッジ」がらがら。たまにくる客も日本人より韓国人の方が多いぐらい。
二人でビール7本飲んで食事。580バーツも使ってしまった。
今から北バスターミナルにチェンライ行きのバスの切符を買いに行きます。



2007年1月17日(水)15:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

カイラスへ6

 「そうです、これを這いずってでも登らなければコルラは完成しないのです。馬に乗って登ってもいいが、それではコルラが完成したとは他人に言えないでしょう。がんばって自分の足で登りましょう」
 とガイドブックにでも書かれていそうだけど、実際、馬にでも乗りたかった。何度も書くようだけど経験した者にしかわからない苦しさだ。

 苦しみながら歩き、テントを出発してから約四時間で私達は峠に立つことができた。ドルマラ(峠の名前、標高約五千七百メートル)は風も無く優しく我々を迎えてくれた。景色はよく見えなかったけど。
 下山を開始して、しばらくは快適な下りだったのだのだが、最初のテントで休んでいる時、天候が悪化した。雹を含む激しい風雨に正面から数時間打ちのめされた。登りの時と反対だ。川下から吹き上げる雹に体中が凍え、襟元等からから雹の溶けた冷たい水が進入してくる。ああ、仏陀が我々に与えた試練なのか。辛かったなあ。
 二泊目の宿に着いて、ストーブの前に座った時、心から素晴らしいと思った。暖かい火に、ポーターに、文句も言わず歩いた四人の女性たちに。



2007年1月5日(金)01:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

カイラスへ5

 ベッドで横になったがなかなか寝ることができない。足が痺れて筋肉が痛む。指で軽くマッサージしてみる。気休めにしかならない、筋肉は固まったままだ。こんなことで明日は大丈夫かな、と思っているうちに寝てしまったようだ。疲れているので酷いイビキだっただろうなあ。ごめん、ごめん。
 翌日、足の疲れは残っていたが、思ったほどではない。それより激しいガスでカイラスの北面見ることができないのが残念だ。六年前に見た時は声も出ないほどに感激した。 
 朝一番からコルラ最大の難所、ドルマ・ラへの登りが始まった。ゆっくりと歩き始めたが、ガスで道がわからない。回りはミルクのように真っ白だ。前回来た時は天気も良く問題なく道が見えた。しかし今日はよくわからない。
 戸惑っているとポーターのおじさんが我々をリードしてくれる。ありがたい。彼が居なかったら、登るのにもっと時間がかかっただろうと思う。
 登り始めて一時間、何回目かの休憩をとった時、同じ場所に休んでいたインド人巡礼者夫婦の女性が尋ねてきた。
「あとどのくらいかかるのだろうか。一時間位か」
「二時間くらいですよ」
 私の女房が答えると、インド人女性はああ、と天をあおいだ。
でもこの登り、普通に歩いて四時間位かかる。彼らのペースだと五時間くらい、つまりあと四時間位かかってしまうだろう。女房に聞くと、
「四時間位かかるなんて言える訳ないでしょう」
 ごもっとも。
 この苦しい登り、最後に絶望的な急な登りがある。天気が良ければ予め覚悟ができるのだが、その日はガスのため絶望が寸前まで見えない、そしてそれが眺めた時、ほとんどの人が小さな悲鳴をもらし、ため息をつく。
「ドウシテモコレヲノボラナイトイケナイノデスカ」



2007年1月2日(火)01:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

カイラスへ4

 最初のゴンパ(チベット仏教のお寺)に着いたのは、十二時だった。二時間の予定を一時間近く越えている。これでは本日の宿泊予定である二番目のゴンパには今日中に着くことができないのではないか、そうなると全ての予定が狂ってしまう。お金も余分にかかってしまうだろう。
どうしましょうか、と相談し、五人の中でも特に疲れていた若い二人がポーターを雇うことになった。たまたま会った中国語の達者なチベット人運転手に通訳を頼み、本来なら一人一日八十元のポーター代を、彼女たち二人分の荷物は軽いので、二人百元でお願いすることになった。
 通訳をしてくれた運転手にお礼をしようとしたら、
「わしには必要ない。それより彼のポーターが気に入ったら、少しでもいい、チップをやってくれないか」
「もちろんそのつもりだよ」
「では、たのむ」
「本当、色々にありがとう」
 歩き出してしばらくすると雹を含む雨が降り出した。川の下流から吹き上げてくるような雨だ。背中とザックに当るだけなので特に辛くも、冷たくもない。こんな雨なら怖くないぞ、と思っていたが、翌日、とても辛い目に遭うことになる。
 途中にあるお茶テントで三時の休憩をとっていると日本の団体ツアーの人たちとここでも会った。彼らとは途中の町などで何回も顔を会わせている。とても高額のツアー料金を払って参加しているようだ。すでに数人が高山病で倒れたと言っていた。幸い、私たち五人はだれも高山病の症状は出ていない。
 ここからの登りがきつかった。足は鉛のように重く、肺はフイゴのようにぜいぜいと空気を吸い込み、吐き出す。数歩歩いては休み、もっと休みたいとの体の欲求を意思の力でねじ伏せる。今回が山歩き初めての二人にとっては素晴らしい経験になっただろう。意思の力の素晴らしさがわかったと思う。もう駄目だと思っても意思の力で足を前に出す。一歩、又一歩。
もう二度といや、と思っているに違いないけど。
 泊まる予定だったゴンパは橋が落ちて行けないので、テント村で宿泊することになった。一ベッド三十元。食事は専用のテントがあり。そこでお湯がもらえたので、ラサで買い込んでいたカップラーメンを食べる。けっこう美味い。最近の中国製のラーメンも美味くなったと思う。



2006年12月25日(月)01:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

香港にて

 少し前、今年の春節の頃、私ら夫婦は香港に居た。ゲストハウスにじっとしていても仕方が無い。でも特に観光名所を見ることの無い私ら夫婦は香港の町を歩くことが多かった。
 その時、前を六十歳くらいの日本人夫婦が歩いていた。その時の会話。
「なあ、吉野家で牛丼があったぞ。食べに行こう」
旦那が言う。その頃、日本の吉野家ではまだ牛丼が復活していなかった。
「何で香港まで来て吉野屋に行かなあかんねん」
嫁さんがかなり怒りながらご返事。旦那さんは黙り込んでしまった。
 後ろを歩いてた私達、
「うーん、どちらの気持ちもよくわかる」



2006年12月22日(金)01:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

カイラスへ3

 ラサからシュガツェまでは道路がいい。快適だ。始めの宿で日本人に会う。彼は日本の旅行会社のツアーに一人で参加して、私達とほぼ同じコースを行くようだ。一人で車やガイドを頼むと高くつくのだろうなあ。
さて、我々の予定ではカイラスに行く前にエベレストを見に行こう、やっぱり世界最高峰は見たい。昔、ネパール側から見たことはある。だから中国側からも見たい。
 しかし結果、天気は悪くどこからもその姿を拝むことはできなかった。山々は雲に覆われている。仕方がない、本来の目的であるカイラスを目指し、車に座り、食べて寝る数日間を過ごす。お尻が痛い数日間でもある。ただ風景が美しいので飽きることは無かった。日本では絶対に見ることができない景色だ。
 三日が過ぎた。座って美しい景色に歓声をあげ、写真を撮るだけの時間は終わった。カイラス山の麓の町に着いたのだ。カイラスコルラが明日から始まる。
チャータの車は時間的な余裕がない。本当はもっとゆっくりしたかったのだが、翌日にコルラを始めた。私たち夫婦にとっては二回目のコルラとなる。
 聖カイラス山、仏教、ヒンズー教、ボン教の聖地であるこの山の周囲、約五十キロを数日かけて歩く。
 河口慧海和尚も歩いている、最高海抜五千七百メートル、その時、空気の濃度は海抜ゼロの約半分だ。
 少々体がだるい。出発地のタルチェンという町がすでに海抜四千六百メートルもある。
 しかし歩き始めはけっこう快適だった。冗談も言えるような普通な山歩きだ。町外れから数頭の犬がどこまでも付いてくる。何か食べ物でももらえるとでも思っているのだろうか。うーん、コルラ(チベット仏教は時計回りで聖地を巡礼する)が終わって余っていたら魚肉ソーセージでもやるのだけど。   
 小さなタルチョのある峠を超える。チベット人は峠に旗をたなびかせるのが好きなようだ。実際は経典の書いてある布で、風が仏法を世界に広めてくれると信じられている。
 川筋に降りると、最近の雨のためか川が増水して、道がかなり悪い。足元が悪いと自分のペースで歩けないのでかなり疲れる。ほとんどに人はこの先まで車で来るので道はほとんど無い。



2006年12月22日(金)01:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

カイラスへ2

 チベット冒険の旅、いいなあ、俺も行ってみたい、かっこいい、写真やビデオを見た一部の友人達は言う。でも実際はけっこう激しく揺れる車の中でお尻と腰の痛みを我慢し、高山病になったらやだなあ、と怯える、あまりかっこよくない旅である。その上に山歩きが加わると、うまくも無い食べ物を我慢しながら食べ、泥まみれで、風雨、雹や強風に耐え、上り坂で筋肉は悲鳴を上げる。下りは膝ががくがくし、薄い空気に酸欠の金魚のようの口をぱくぱくする。やっぱり絶対かっこよくない。
 時に考える。俺たちはなぜここに居るのだろう。家でソファーに座り、ビールでも片手にテレビでチベットの特集番組でも見ていれば、楽にそこに行った気になれるかもしれないのに。

 テレビのドキュメンタリーではトイレの話がほとんど出てこない。これが一番の問題なのになあ、少なくとも女性にとっては。
 チベットの高地には木はほとんど生えてない。草は生えているが羊やヤクが食べてしまっている。平原には隠れる段差もほとんど無い。結局、数十センチの段差を利用して用を足さねばならない。その段差もない時は「すいません。おしっこをするので向こうを向いていてくれませんか」と同行者に頼むことになる。そしてたとえトイレがあっても外でしゃがんだほうがましのような激しく汚いトイレも多い。というかそれが普通だけどね。
 まあ。とにかく旅は始まった。大枚をはたいているのだからできるだけ楽しく過ごそう。食事は値段を気にせず本当においしそうなものだけを選ぶようにした。はじめはニーマにチベットでの美味しそうなメニューを聞こうとしたのだが、彼は中華料理をよく知らないと言う。本当のところは中国のことなど知りたくないようだ。チベット人なら当然なのだろうか。  
始めてチベットに来た六年前、中国人が好きなものは絶対に食べないというチベット人に会ったことがある。彼は豚肉に箸をつけなかった。



2006年12月16日(土)01:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

カイラスへ1

 私たちの車を追い越した四輪駆動車は水溜りの泥水を激しく撒き散らし、一瞬、フロントガラスが泥水に覆われ、前方が見えなくなった。
運転手のニーマは軽く舌打ちしてつぶやいた。
「この悪路をこんな激しいスピードで走ったら、いずれ事故を起こすか、車が壊れてしまうよ。日本の車でもね」
 確かに故障車は多かった。ただ故障は私達の車でもあったので、これは仕方ないだろうと思う。道は確かに悪いのだ。しかし安全運転することはできる。
実際、帰り道、自損事故でフロントガラスにでも突っ込んだのだろうか、
「誰か病院に連れて行ってくれ」と叫んでいる雲南ナンバーの車から這い出してきた、血だらけのゆがんだ顔の中国人の若者を見た時は、かなりびびった。ニーマの安全運転は私たちにはありがたかった。
 私たちの乗っている車ももちろん四輪駆動車だ。荒々しい自然の残るこの西チベットでは本当に信頼できる車しか走ることができない。この地ではトヨタのランドクルーザーが九割以上を占めている。同じ車種ばかりだと、故障の時に部品の供給が比較的容易なことも理由の一つだろうが、もちろんそれだけではない。古い話だがリビアのカダフィ大佐も絶賛した荒地での性能のよさ、だろう。中国や韓国の車はチベットの大地を走る力はまだ無いようだ。
 ニーマはチベット人だ。年齢は聞かなかった。特に理由は無い。たぶん四十代だろうと思って聞かなかった。でも実際はもっと年をとっているように見える。チベットの激しい自然が彼を実際より年上に見せているのかもしれない。推測だから本当のところはわからないけどね。他のツアー運転手は三十歳前後の者が多い。そして若さゆえにアクセルを踏む足に力が入り、事故を起すのは世界共通だ。
 私たち日本人は五人、私と女房、ラサで待ち合わせをした友人、そしてラサのホテルの張り紙で集まった若い女性二人。男一人と女四人の即席チーム、カイラス目指して行動を共にすることになった。
 ニーマは年相応に少しお腹の出たチベッタンだ。中国語が少し話せる。口数が少なく、行動で示すタイプのようだ。



2006年12月15日(金)01:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

笑った

http://www.youtube.com/watch?v=EnFaLgwonh0
旅行人に貼ってました。面白い。時期的にも。



2006年11月16日(木)00:30 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

美味しい

 それは豚の脳みそです。初めて食ったのは四川の成都、たしか1990年でした。知り合った中国人に勧められ、鍋に投入された物を味見しました。びっくりするおいしさです。こんなに旨い物は食べたこと無いのではないか。
嫁が聞きます。「おいしい?」
 私はほんの短い時間ですが考えました。不味いと答えたらこのうまい脳みそを全部食べることができます。でも将来、きっとばれるでしょう。十秒ほど悩んだ後、答えました。
 「おいしいよ」
 でも豚の脳みそは少しでも古くなるととても不味いので注意が必要です。



2006年11月13日(月)01:42 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

遭難

 関東で遭難した4人が無事だったのはよかった。でも少々疑問点がある。4人の中のお祖父さんはヒマラヤにも行ったことがあるベテランと報道があったけど、山登りする人なら知ってる「道に迷ったら沢に降りるな。尾根に登れ」を無視して沢に降りようとしたことは????。
 日本の山で沢に降りたら滝や岩場で身動きが取れなくなる。がんばって尾根に登ればたいてい道があるし、無くとも見晴らしがいいので自分の居る場所がわかる。
 どうやらお祖父さん、認知症かな。
 発見が遅れたのはベテランのお祖父さんがいるので尾根を探していたのだろう。ベテランのお祖父さんが居なければもっと早く発見されたかも。
 ニュースで、「道に迷ったら沢に降りるな、尾根に登れ」と報道してほしかった。



2006年10月20日(金)01:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ニュース | 管理

中国の人口

 昔の中国では道の状況が悪かったので都市から都市まで移動する時にけっこうな田舎を通ることが多かった。ツアーでは見ることができないすさまじい汚さ、貧しさ、そして人の多さが印象に残っている。沿海州の田舎が特に人が多かったと思う。こんな小さな村に何でこんなに人が居るの、市がたっているのかなと思って昼食の休憩のときなどにうろうろするのだけど、そんな様子も無い。でも人はうじゃうじゃいる。
 他の日本人達と「人口13億のわけないよな。20億か30億くらいいるぞ。絶対」



2006年10月10日(火)23:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 極東アジア | 管理

アメリカで

 今から20年前、アメリカを車を運転して旅したことがある。アメリカの旅は楽しかった。
 ある日、映画で有名になったデビルスタワーを見に行こうと、ワイオミングの田舎道を走っていた。平原は単調で特に面白いドライブではない。眠くならないように、ラジオの音を大きくかけ、平原の道を走った。
 ふと、バックミラーを見るとバイクの集団が後ろから差を詰めてくる。大きなバイクにまたがり、体も大きな白人ばかりのバイク50台くらいの集団だ。ヘルスエンジェルのようだ。よく知らんけど。
 追い越すが楽なように道の端により、心持スピードを落とした。しかし、バイク集団は私らの乗ってる車のところでスピードを落とし、それどころか止まれの合図をするではないか。なんだ、なぜ止まらなければいかないんだ。こちらわしらが黄色人種だからリンチでもするつもりなのか。やつらはKKK団か。
 しぶしぶ止まることにした。田舎の道とはいえ多少の車は走っている。昼間からひどいことはしないだろう。
 車が止まると、バイク集団も止まった。根性を出して車のドアを開け「What 」と聞くと、車の屋根を指差して何か言っている。そちらを見ると、なんと車の屋根に鍵が載っている。仲間の一人がうっかり置いて忘れていたようだ。
 「ありがとう」と言うと「OK]と言ってバイク集団は走り去って行きました。 
 人を外見で判断してはいけません。



2006年10月10日(火)03:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

和食か洋食か

 今日、嫁と言い争いになった話題が一つ。
果たして、カツ丼、親子丼、オムライス等は洋食か、和食か、です。
 私は日本人が発明したなら和食、だとの立場。それに対して嫁は昆布や鰹節を使ってないのは和食と認めたく無い、との立場。
 皆様はどう考えるのでしょうか。
 和食とせず日本食とするとの妥協案もあるのですが。



2006年10月9日(月)00:35 | トラックバック(0) | コメント(1) | 料理 | 管理

アルハイ会

 昔の大理に「アルハイ会」という仲良しクラブがあった。大理の前にあるアルハイ海から名づけたと、誰もが思うだろう。でも本当はアルツハイマーの略、楽な暮らしをしている大理滞在者がぼけてきたことから名づけられたなしい。
 私も最近「アルハイ会」に入りたいと思う。昼間、仕事中に旅の面白かった出来事を思い出し、よし、今日ブログに書こう、と思って、パソコンの前に座ると、完全に忘れているのである。困ったもんだ。



2006年9月30日(土)22:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 健康 | 管理


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