今日も旅天気
 
アジア大好き。共産党は大嫌い。
 


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中国の今

 【大紀元日本7月14日】世界保健機関(WHO)の統計によると、中国は世界で唯一、女性自殺者の数が男性を上回る国であり、4分おきに1人が自殺、毎年150万人が自殺を図り、その内の約10%が帰らぬ人となっている。BBCが伝えた。

 統計によると、中国人女性の自殺者は、農村部では都会の3倍の多さであるという。その原因は、中国農村社会の婚姻の考え方に由来しており、結婚は親族間で駆け引きを行う、一種の「取引」の結果であり、新郎側の家が金を出して新婦を「買い」、新婦は新郎側の「家の一部」になるという。このため、「他家」に嫁いだ新婦は、舅姑ともめたり、ひいては夫に暴力を受けたりすると、精神的に「お先真っ暗」の状態となり、農薬を口にして自殺し「抵抗」するのだという。

 また、中国の伝統的な考え方「男尊女卑」や胎児性別判断などの「闇社会事情」から、男女人口の不均衡が生じつつあるという。「中国婦人報」の謝麗華氏は、「20年後、女性の誘拐、人身売買の犯罪はさらに増加し、暴力犯罪や暴行なども増えるであろう。根本から問題解決すべきだ」と見解を示した。

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 普通は女性のほうが精神的に強く、イスラム圏でも男性の自殺のほうが多いらしい。でも中国は……。



2006年9月29日(金)23:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | 世界 | 管理

西チベット2

 このあたりは素晴らし風景なのだろうけど雲で見ることができない。さすがに湖は見ることができたけど。
 途中の川でバスが動かなくなっていた。乗客が膝まで冷たい水に浸かり、岩を積んだり、押したりしているが、バスはびくともしない。その横をランクルはするすると走っていく。申し訳ない。
 運転手は道を間違え、1時間ほど遅れて夕方に着いた町、サガは6年前に比べ、少し大きくなっている。驚いたの西遊旅行の団体が我々と同じ宿に止まっていること。もっとトイレの綺麗ないいホテルもあるのに。高そうなホテルにはインド人の団体が入っていった。
 シャワー屋があり、そこの経営者は雲南省から来たと言っていた。ネット屋もあったが満員なのでやめた。そのすぐ後に大雨になった。道は雨が降ったらもっと悲惨なことになるので、雨はうれしくない。
 あとで聞くと、レチェからサガ間が一番道が悪いらしい。ある日本人はこの間に3日かかったらしい。
 



2006年9月21日(木)01:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

朗報

外国人がチベット自治区に入域する際には、旅行代理店を通じて、許可証(入蔵証)を取得することが求められていました。
7月に青蔵鉄道が開通した際には、年内にはこの許可証を廃止するとの意向がチベット自治区の政府高官から示されていました。

で、9/12に、チベット自治区の武継烈副主席が、ラサを訪問中の外国人メディアに対して、

・中国政府は、外国人がチベット自治区入域の際に必要であった許可証は、10月1日より必要としないこととする。

・チベット自治区政府は、自治区内の旅行制限を廃止し、観光のために開放地域を増やすことにする。



素晴らしい。これからチベットの旅が楽になりますね。



2006年9月15日(金)20:29 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

西チベット

今回のチベット旅行、最初からランクルをチャーターすることに決めていた。それはヒッチがとても辛いから。肉体的に辛いのではない(もちろん辛くない訳ではありません)、精神的に辛かったから。前進したい時に前進できない、次の町に行きたいのに行けない、これはかなりの苦しみでありました。
 ただ今回、車をチャーターしてわかったのは、気に入ったところで滞在するのは無理なこと。当たりまえである。きちんとスケジュールを組んで出かけるのだから。カイラスをもう一度コルラしたいなあ、と思っても無理である。だから次に西チベットに行く時は、イェチェンからアリまでランクルのチャーター、アリからグゲ遺跡とカイラスはヒッチか、自転車。そうすればゆっくりできるだろう。アリに戻ってチューターか路線バスでラサ、と行きたいものだ。2009年頃をめざそう。そうなればカイラスのコルラ、三回を達成。煩悩が深いので百八回と言いたい所だが、それは時間的にも金銭的にも無知だろうなあ。

閑話休題
 ランクルを頼んだのは、キレーホテルの旅行代理店。普通は4人でツアーを組むらしいけど、男が一人に女性が4人、まあいいだろうと、なった。期間は16日間。費用は一人三千元くらい。これに宿泊代、食事代、入場料等が別にかかる。全部で一人五千元を超えることはないだろう。
 ヤムドク湖などは日程的に無理なので、ラサからシュガツェまでは新道を通った。結果的にグゲに行けなかったので、申請していれば変わりに行けたかもしれない。運転手も代理店も、申請していないところには絶対に連れて行ってくらない。日程が余っていてもダメなのだ。彼らは許可証の無いところに客を連れて行って、営業を取り消されるのをとても恐れているようだ。
 次からは多めに申請しておこう。
 ラサからネパールに行く道はラツェからは全面改修中。朝の七時から夜の七時まで進入が制限される。制限されるというよりも、禁止される。だから我々は朝の5時に起きて真っ暗なうちから準備をして、真っ暗なうちに出発します。景色が見えないよう。
 エベレストBCは雲のため、全く見ることができない。車の入場費405元。一人65元の入域料は山が見えない時は高価に感じます。BCの入域料80元、払うのがいやなので、行くのはやめ。行ってもしかたないし。しかしこのロンボク、にある招待所、飯はまずいし、雨は漏るし、トイレは最悪の汚さだし、ビールは10元だとぼるし(7元にねぎったが)、この旅の最悪の宿泊所だった。 
 次の日、移動したティンリーでもエベレストは見えず。ここの丘の上に「江沢民」の「エベレスト好!」の碑があった。時間がなかったので破壊工作することもでず、仕方が無いので小便をかけてきた。
 次の日の景色もわるい。シャシャパンマが見えるはずなのに……。入域料25元なり。



2006年9月2日(土)03:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

麗江より

 シャングリラはネット環境が悪くて書き込めませんでした。泊まったユースのパソコンは壊れているし、近くの韓国料理店のパソコンも同様。チベッタンカフェは日本語が使えないのに1時間8元もとる。
 ラサからシャングリラ、飛行機の搭乗率は9割くらい。それのなのにシャングリラで降りたのは私ら夫婦二人だけ。荷物受け取りのターンテーブルの上を私らの荷物だけが回っているのはとても楽しい風景だった。写真を撮っておくのだったなあ。



2006年8月24日(木)12:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

ラサより

 昨日、ラサに着きました。少々、疲れました。
ゆっくり休養して21日に香格里拉に飛ぶ予定です。

 旅行記はそのうちに載せたいと思いますが、ヒッチや乗り合いバスで行ったときに比べてハプニングは少なく、その点ではつまらない。体は楽だけどね。



2006年8月17日(木)15:05 | トラックバック(0) | コメント(3) | 旅行中 | 管理

サガより

グゲには行くことができませんでした。水害で道が寸断されたようです。カイラスのコルラはできました。


2006年8月13日(日)22:57 | トラックバック(0) | コメント(1) | 旅行中 | 管理

中国での移動

 中国を移動する時、一番よく使うのはバスである。飛行機は便利だけど高いし、鉄道は長距離の移動に限られるうえ、春節、黄金週間、夏休み、国慶節の時には切符を取るのはほぼ不可能だ。
 そんなわけでバスに乗った回数は数え切れない。昔は中国製のバスは2回に1回は必ず故障した。いまでもけっこう故障が多い。
寝台バスのマフラーが落ちたことがあった。運転手は車を止めて拾いに行き、通路がマフラーで占領された。まあ、それはいいのだが、マフラーのはずれたバスのエンジンのうるさいこと、うるさいこと。寝台バスなのに目的地に着くまで一睡もできなかった。
朝六時に来い、と言われまだ薄暗い中バス停に行くとバスは修理中。出発したのは九時を回っていた、のはルク湖にに行った時。
 二泊三日の予定のウルムチ、カシュガル間のバス、故障が頻発、倍の時間がかかってしまったこともあった。
バスが走っている最中にガス欠、運転手が乗客に頼む「同士諸君、車を押してくれないか、頼む」後にも先にも聞いたことの無い「同士諸君」、死語ではなかったようだ。

 故障ではないけど、中国人が馬鹿だな、あるいは他人の迷惑を考えないなあ、と感じたこともバスの乗車中に多い。
 道が約百メートルにわたって工事中、車は一台しか通れない。そこを通行中の我らのバス。対向からトラックが三台。バスの運転手がクラクションを鳴らす。まさか、鳴らす必要もあるまいに、と思うのは先進国の人たちだけだろう。そして鳴らしたの全く無駄だった。トラックは速度を落とさずに道に突っ込んできた。立ち往生する四台の車。バスとトラックはバックと切り返しを繰り返し、十分もかかってすれ違うことができた。トラックが手前で待っていてくれたら、三十秒のかからずにすれ違うことができたのに。同じバスに乗っていたドイツ人が言った。「This is China」
 自転車でもやられたなあ。かなりの僻地を走っている時、道が激しく泥るんでいた。ただ轍の上だけは安全に走ることができる。その轍の上を走っていると向こうからミニバスが来た。悪い予感がしたので、身振りでそこで止まれとしたのだが、思った通りバスは突っ込んで来て我々の前で止まった。運転手はそこを除け、とクラクションを鳴らす。冗談じゃない、泥の厚さは三十センチ近くある。足首以上もぐるのは間違いない。こちらが拒否すると乗客も一緒になって「どけ」の大合唱。こちらも頭にきて運転手を指差し「お前の顔に付いているのは目玉ではなくガラス玉か、それとも脳みそが無いのか」と怒鳴り返す。頑として退かない我々夫婦。当たり前である。自転車はバックできない。結局運転手は我々を避けるため泥の中に車輪を埋めながら運転した。しかし十分以上の時間が無駄になった。全く、中国である
 またある時、片側一車線、大型の車がぎりぎりすれ違える道に堂々と車を停め、飯屋に入るトラックの運転手発見。道が大渋滞しようが全く知らん顔。自分さえよければいい最低人民である。もちろんすべての運転手がそうではない。

 交通事故、けっこう見た。下関から大理に行くミニバス、我々夫婦の乗ったバスに後ろから同じようなミニバスが追突。フロントガラスは粉々になった。昔のミニバスは後部に屋根に荷物を載せるために梯子が付いていたので、それに当ったのだろうか。こちらの乗っていたバスは特に無理な急停車をしたわけではない。それなのに後ろのバスの運転手が狂ったように抗議をしてくる。おやおや、普通は後ろの車が悪いのだろうに。
タクシーが自転車を引っ掛けた。明らかにタクシーが悪いのだが、数人の運転手が、あちらこちらの擦り傷から血を流しているかわいそうなおじさんを小突いて幾ばくかの金をもぎ取っている。
 だがここは中国だ。声の大きい男か、共産党の偉い人や公安にコネがある人民の勝利となる。
 
 友人はもっとひどい場面に遭遇した。
 事故自体は普通の対面衝突、どちらも悪いなあ、という状況だったそうだ。そこに駆けつけた公安官、一方の知り合いだったようで、明らかに友人に有利な裁定。もう一方が抗議するとそこに落ちていたレンガで抗議した運転手を殴りつけた。倒れた上からも頭をレンガで殴る公安官。運転手は血まみれになってぐったりしていた。死んだかもしれない、と友人は涙目になりながら言っていた。「私が男だったら抗議するのに」 
 おいおい、ここは先進国じゃあないのだよ。そんなことしたらあなたも殺されてしまうか、刑務所だよ。インドのサンタナ事件を知らないのか。どうしても抗議したい時はパスポートを印籠のように持って抗議しょうか。少しはましかな。
 その死んでしまったと思われる男性は本当に気の毒だけど、まだまだ世界にはこんな理不尽な場所のほうが多いのが現実なのだ。



 初めてのランクルでの移動。どうなるのでしょうか。



2006年8月1日(火)21:44 | トラックバック(0) | コメント(1) | 極東アジア | 管理

東チベット3

 バスは六時四十分に出発した。朝早いほうが、乗客は皆緊張して朝寝坊する者は居ないようだ。薄暗かった朝の風景は輝きだした。しかし、景色を楽しむ者は少なく、ほとんどは眠っている。車掌まで空いた座席で眠っているではないか。他の取り巻き連中も眠ってしまった。かわいそうに運転手は話し相手も無くさびしげに運転している。
 風景は昨夜とあまり変わらず、いかにもチベットらしい景色だ。ネパールでもラダックでも四川でも、チベット人に住んでいる所は似ている。ただこのあたりのチベット家屋は伝統的な平屋根ではなく、並トタンを使った切妻屋根や寄棟屋根の家屋が多い。雨が多いのだろうか。
 バスは順調に走り、途中で北京からの旅行者を拾った。拾った場所は湖が広がり、その奥に雪山が見える美しい所だ。カナダのロッキー山脈に似ている。カナダのほうがもっと規模が大きい。
 北京から来た旅行者は生意気にもニコンのデジタル一眼レフカメラを持っている。彼女は私の前、バスのエンジンカバーの上に大股を広げて座り、写真を撮りだした。私は彼女が邪魔で写真を撮ることができない。でも人のことは気にしない中国人、こちらのことは全く気にせず写真を撮り続けている。天気も悪いし、ガラス越しに撮ってもいい写真は撮れないので、私は写真をあきらめた。
 運転手、顔は怖そうなのだが、とても親切だ。彼女がいい写真が撮れるように数回車を停めてやった。
昼前に波蜜に着いた。このあたりはチベットのスイスと呼ばれているらしい。確かに巣晴らし風景だが、ネパールやパキスタンには規模で負けるなあ。残念。スイスは行ったことが無いので比較できません。ただ波蜜の町は絶対にスイスより汚いのは間違いない。ここで昼食、牛肉面をいただく。六元なり。
波蜜の町を出てからもしばらくは同じような景色が続いた。道も舗装されていて快適だ。道はどんどん下っていく。標高二千メートルくらいで河に突き当たった。ここで乗客は橋を歩いて渡った。しかしそれほど弱そうな橋には見えなかった。
 この橋を渡ってからしばらくはとても細い川沿いの道を走る。崖がせりだし、未舗装で所々道が崩れている。雨の時は走りたくない道だ。雨が降ってなくても背中にじっとりと汗をかいた。
 一時間ほどでその道を抜け、舗装された安全な道になった。ぐんぐん高度を上げ、四千五百の峠を越え、下ってしばらく走り道を曲がった途端、目の前にビル群が立ち並んでいる。こんな僻地になぜ。町の名は林芝。近づいて見るとほとんどのビルはまだ建設中で、建設を終わったビルも人影が少ない。西部大開発のお金がこんな所に使われているのだろう。箱物を作りたがるのは日本も中国のお役人も同じのようだ。だいたい観光以外まともな産業も無いこの場所にビルを作っても誰が入居できるのだろうか。
 まだ六時過ぎなのに運転手は、今日はここまでと宣言した。乗客の一人がまだ明るいのでもっと先に進もうと言うと、「俺の目が限界だ」と運転手。見ると彼の両目は真っ赤に充血していた。
 宿代五十元、トイレ、シャワー付き。ただしお湯は出ない。部屋はまあ清潔。登記をしようとしたらその必要は無いと言われた。外国人だとわかっているのかな。
 食事は宿の隣でとることになった。ビールを頼むと隣の商店で買え、とのこと。久しぶりのビールが原価で飲める。食事はとても量が多く、ご飯を食べることができなかった。味は良。
翌日の出発は七時、六時に起きるので十時頃に寝ることにした。疲れているのと久しぶりのビールですぐに寝入ってしまった。
 翌日七時、遅れてくる人はいつも決まっている。昼食休憩の時、トイレ休憩の時、必ず遅れてくるのは波蜜から乗り込んできた四人組の上海人、遅れても少しも悪びれることもなく、態度はいつも傲慢だ。中国中で嫌われているのがよくわかる。
 林芝からラサまで道は完全に舗装されている。車が急に多くなった。観光のバスや四輪駆動車以外は材木を積んだ車が異様に多い。道のあちらこちらで材木の検査をする場所がある。不法伐採が多いのだろう。
 検問があったが、ここでも運転手が書類を見せたら問題なく通過。公安は外国人の取締りより材木の取締りのほうに忙しいようだ。
 ラサの手前で五千超の峠がある。運転手は親切で写真を撮れ、と車を停めてくれた。峠の標識の前で記念撮影をしているツアー客らしい中国人。後ろに待っている人が大勢いるのに気にせず構図を決めている。思わず言ってしまった。「快点」
雪が降ってきたので車に退散。ここでも相変わらず上海人はなかなか戻ってこない。
 峠を下った四時過ぎ、突然後ろに座っていたチベット人たちが騒ぎ出した。「ポタラ」「ポタラ」と。見ると小さくポタラ宮殿が見える。
 長かった四日の旅は終わった。

 でもこの先、二週間以上かかる聖カイラス山への旅が待っている。



2006年7月28日(金)16:07 | トラックバック(0) | コメント(3) | 旅行中 | 管理

東チベット2

 予想通り、ハエが顔にとまり、歩き回るいやな感覚で目が覚めた。「五月蝿い」というのはハエの羽音ではなくこの事を言うのではないかと思う。
 バスは九時過ぎに出発した。九時出発でも寝坊する人は居たようで、彼は寝ぼけ眼でバスを追いかけてきた。別にバスは彼を残して行こうとした訳ではなく、ターンしようとしただけなのだけど。
 川沿いの悪路をバスは走る。幸い、雨は止んでいた。道はブルが修理を終えたばかりのようで、道に落ちた岩に困ることも無く、陰気な道を走った。峠を越えたとたん、緑が目の前に広がった。灰色から緑色への鮮やかな交代だ。なぜ峠の南に緑が少ないのだろうか。謎である。
 モンゴルの場合は、山の北斜面にだけ木が生えている。それは激しい乾燥で、北側の斜面のみ残る雪の水分でようやく木が水を得ることができるから。しかしここは違うだろう。
 緑豊かな道をバスが走る。やがてぽつりぽつりと家が見え、しばらく走るとマルカムの街に着いた。時間は二時をまわっていた。遅い昼食だ。バス停に着くと大勢の人がバスを待っており、バスの乗車口に集まってきた。座席を取られたらかなわない。座席の上に水筒やビスケットの袋等を置いてバスから出た。二時過ぎなので飯屋はどこも休憩中だ。仕方なく小籠包を買う。5元なり。中国で小籠包といったら小さな蒸籠で蒸した包子のこと。スープは入っていません。ちなみにスープ入りの包子は「湯包」と言います。
 バスに戻ったら案の定、前から乗っている乗客と新たな客が座席でもめている。こんな場合は座ってしまった者の勝ち。私らの席は大丈夫だった。
 バスは三時半ごろマルカムを出た。新たな乗客の荷物の積み込みに時間がかかったから。席は満席になった。新たな客も半分は旅行者、半分は出稼ぎか、地元の人のようだ。
 マルカムを出てからはいい景色が続く。自転車で走ったら面白いだろうなあ、と思っていると、やっぱりいました、自転車野郎。聞くところによると世界のサイクリストの間でチベットを走るのは一つの憧れだという。景色もいいし、治安もいい、食料も手に入りやすい、確かに自転車にはいい所かも。
 素晴らしい景色を楽しんでいる間に車は高度を稼ぎ、五千ちょっとの峠を越えた。峠を越えたら景色が変わるのが楽しい。
 左貢に着いたのはもう暗くなりかけていた。そこから八宿まではこの旅行中、唯一景色を見ることができなかった。残念である。途中でチエックポストのようなところがあったが、人がいなかった。八宿に着いたのは深夜の一時半。出発は六時半。ベッドに寝転んだらすぐに朝になった。



2006年7月28日(金)16:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

東チベットの旅1

非常に楽しかった旅でした。でもかなり疲れました。お尻が痛くてたまらないよ。

 香格里拉でチケットを買う時、売り場のおばさんが怪訝な顔をして「あなたらどこから来たのや」と尋ねてきた。「福建からだ」と答えたのだが、おばさんは疑わしそうな顔で「黙っていたらわからんなあ」とかつぶやきながらチケットを売ってくれた。ばれたのかな。
 出発の二日前に買ったチケットの席番号は一番と二番であった。

 当日、九時前にバス停に行く。雨が降っている。あまりよくない。悪路が多いので雨が降るとすぐに道は不通になる。やむ様子はない。宿の主人によると、塩井から上流の道はかなり悪くて、道がすぐに不通になるらしい。
 客は思ったより少なくて、十数人くらいだ。そのうち旅行者は半分くらい。後の半分はラサに働きにでも行く人々なのだろうか。
 時間通りにバスは出発した。運転手はチベット人だ。赤ら顔の少々怖い顔をしたおっさん。助手はまだ若い。彼もチベット人、彼は運転ができないようで、運転手は交代することがなかった。
 香格里拉を出て少し走ったら修理工場に入った。あれれ、と思ったら修理は三十分ほどで終了。長距離を走るので気になるバルブを閉めなおしたようだ。その後バスのトラブルは特には無かった。
 バスは普通に走って、途中の食堂で昼食をとり、四千超の峠を越え、徳欽に着いた。この町は十年ぶりだ。町はかなり大きくなっている。十年前に泊まった宿はもう無かった。
徳欽を出てすぐ、飛来寺の手前にチエックがあった。運転手の書類を検めたのと、学生のボランティアが車内に麻薬撲滅の小冊子を配っただけであった。
 徳欽から塩井までの道は川沿いの悪路を走る。緑も少なく、陰気な道だ。雨も激しくなってきた。その道を自転車で走っている者が七・八人居た。中国人のようだが日本人かもしれない。時間はもう八時を過ぎている。少々無謀だな、と思う。荷物は少なそうだ。テントを持っているのだろうか。たとえ持っていてもこのあたり、テントを張る場所も無い。次の村までは一時間以上かかるだろう。もうすでに薄暗くなりかかっている。
 九時前に上塩井で夕食。ここで泊まるのかと思ったら、運転手はあと百数十キロ走ると言う。マルカムまで走るのか。今日中にマルカムまで行けば後が楽になるなあ。
 真っ暗な川沿いの道を走り始めて二十分、道が崩れた土砂で塞がれている。バスはターンすることもできない細い道だ。真っ暗な道をバックで走るのも無理だろう。どうするのか、運転手は携帯電話を取り出して、何やら話している。客の一人が状況を聞くと「ブルドーザーを呼んだので、少し待て」と言う。「先に進むのか」と問うと「この先の道はもっと悪くなっているだろう。ブルが道を直したら、少し走ってターンのできる所があるので、今日は塩井に戻って泊まる」
 携帯電話でブルを呼ぶ、便利な時代になったものだ。

 ブルを待っている間も、崖から小石が絶えず落ちてくる。かなり恐ろしい。ブルは四十分ほどで到着。あっさり道を掃除してくれた。ターンして「納西郷」という町に戻ったのは十一時を過ぎていた。
 明日は何時に出発するのか。運転手は「どうせ道を修理するのに時間がかかるので九時にする」と言う。おお、ゆっくりと眠ることができるなあ。
 宿でまた一悶着、ベッド二十元、一部屋五十元の三ベッド部屋が高いと一部の乗客が騒ぎ出した。旅行者にとっては高い部屋ではないのだけど、出稼ぎに行く人々にとっては高いのだろう。その騒ぎを聞きながら五十元の部屋に入る。まあ、昔の中国を思い出させる素晴らしい部屋であった。トイレの便器は壊れて水が出ない。トイレのゴミ箱には前の宿泊客の汚物があふれている。便座は汚れていて座る気もしない。部屋はハエが多い。明るくなったらこいつらが目覚ましの代わりやなあ、と言いながら十二時頃就寝。



2006年7月28日(金)16:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

china yori2

 23日発のラサ行きを、今日買ってきました。値段は五百元と保険代十六元でした。座席番号は1と2でした。三泊四日ほどかかりそうです。
 宿の主人によると先月、日本人十人とイスラエル人五人が捕まり、強制送還されたそう。私らは身分証があるのでだいじょうぶでしょう。 



香格里拉で泊まっているのは「竜門客セン」だ。ドミ二十元。場所は旧市街の近く。
 久しぶりのこの町、すごい変化に笑ってしまいそうだ。傾いて崩れかけた家しかなかった旧市街はまるで麗江の「四方街」のようにきれいになっている。店なんて無かったのに今は土産物屋と旅館だらけ。そのうえ麗江のまねをした「四方広場」では夜は踊りをやっていた。その上、昨夜は「火把節(松明祭り)」だったので、松明を振り回している人民も多く、道もまともに歩けないよ。



2006年7月21日(金)16:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

china yori

 どうやら今回の旅は交通機関に祟られているようだ。
 大理から香格里拉に行くバスは、どうやら客が少ないので間引かれ、十一時の一本だけになった、と思う。最近の大理は観光で麗江や香格里拉に負けているようで、かなり客が減っているようだ。麗江から香格里拉に行くバスは多いのに。
 その数少ないバスは六人の客を乗せて大理を出発した。途中で五元や十元の客を拾い、まるでローカルバス。まあ、運転手の生活もあるし、しかたない。
 もうすぐ橋頭という所の曲がり角でバスは何かを引っ掛けた。運転手も車掌のお姉さんも「あれ」って感じだったが、たぶんごみの袋でも引っ掛けたのだろうとでも思ったのか(私はそう思った)停まることもせずせず、そのまま車を走らせた。橋頭の手前でトイレ休憩を取り、橋頭の町で数人の観光客を拾い、建物が途切れ始めた三差路に公安官が待っていた。
 運転手はもちろん、車掌の女性もパニックになり「お金を返すから」と言いながらパトカーに先導されてどこかに行ってしまった。私ら夫婦はどうしたらいいのだろう。
 客の中国人があちらこちらに電話をかけてくれて、どうやら次に来るバスに乗ればいいとわかった時には1時間以上が過ぎていた。
 来たバスは、人民バス。満員で車内は煙草の煙が充満していた。「禁煙」と書かれているのだけどなあ。
 一番後ろの席に座り、五人席に六人、狭いよう。煙草は臭いし、前に座っている人民からは異様なにおいがするし、とても素晴らしい二時間でした。
 香格里拉のバスターミナルは町の郊外に移っていました。



2006年7月21日(金)16:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

大理から

 昨夜遅く大理に着きました。こちらはずーっと雨です。激しくは降らないけど、じっとりと降ってます。
 バンコクを出発する時から時間に負けていました。バンコク中央駅を出発する電車は30分以上遅れ、飛行機は時間通りだったけど、昆明から大理のバスは出発が30分遅れ、その上昆明市内の高速道路が数日前に破損した結果、昆明を出るのに1時間以上かかりました。下関に着いたのは11時頃、タクシー35元でたどり着いた大理の街は人も少なく、宿を決めたときは12時前でした。宿は第3招待所、2段ベットのドミで20元。きれいで、電気毛布も枕元電灯もあり、悪くない。トイレの数が少ないのが難。
 今は菊屋からです。明日の朝、シャングリラに向かいます。



2006年7月19日(水)19:28 | トラックバック(0) | コメント(1) | 旅行中 | 管理

明日、昆明

 タイで取る中国のビザ、目的地をたくさん書いておくと60日もらえます。90日は無理なよう。4日目に受け取り、1100バーツです。
 今日、受け取ってきました。地下鉄ラマ9駅で降り、歩いて5分ほど。申請手続きは待ち時間も含めて1時間ほどです。写真1枚。ビザセクションに入ったらすぐに番号札を取りましょう。入り口のすぐ脇にあるのですが、人が多いと見逃してしまいます。申請時間は9時から11時半まで。簡単です。

 明日の昼11時の飛行機で昆明に向かいます。バスがあればすぐに大理に行く予定。昆明は帰りにゆっくりするつもり。

 今日はムーガッタです。



2006年7月17日(月)14:18 | トラックバック(0) | コメント(1) | 旅行中 | 管理

いいかげんにしろ大韓航空

 海外に旅する場合、最近はほとんど飛行機を利用する。当たり前である。日本の場合、他に船以外の選択肢は無く、船を利用するのは暇も金もある人たちか、暇はあるが金に苦しんでいる者達だろう。後者の場合、中国に行くのに船を利用して費用を抑えることができる。ただ最近は昔ほどのメリットは無くなったけどね。航空券が安くなったから。
 その飛行機で苦労した話を二つほどしたい。最初の話はもう二十年近く前の西安から広州に行った時のこと。当時の中国は国内線でも2時間前に来い、と要求していた。飛行機の出発は六時半、真っ暗なうちから前日に頼んでおいたタクシーに乗り、飛行場に着いた。手続きはすぐに終わり、待合室でぼけっと待っていた。
 当時の西安の空港は今より町に近く、朝は霧のかかることの多い空港だった。案の定空港は深い霧の中にあり、飛行機はいつまでたっても飛ばない。八時、九時、飛ばんぞ。お腹はぺこぺこだ。機内食を食べることができるだろうと朝は何も食べていない。
 十二時頃、カートに入ったパンを服務員が押してきた。ああ、ありがたい、一つを手に取ると服務員は言った「二元」。ふざけるな、同じものが町では五毛だ、4分の1だぞ、ひどい話だ。しかし「いらんわい」とパンをカートに叩きつけるしか抗議の方法が無い。
 飛行機が離陸したのは二時を超えていた。ああ、これで機内食を食べることができる。うれしいな。あ、ピーナッツとオレンジジュースを配っているぞ。ジュースはかなり粉っぽいけどまあ、ここは中国しかたない。機内食はいつかな♪なかなか始まらないな  あ、カーテンがレールからちぎれてぶら下がっている奥は配膳室かな。上下、地味な服を着たスチュワーデス、もとい服務員、おばさんばかりだな。まあ、機内食さえ配ってくれたら誰でもいいよ。
 遅いなあ、あ、飛行機が下降を始めたぞ。あれ見えるは広州かな。初めて見るけど、空腹で目がかすんでよく見えないよ。
 ああ、広州に着いちまったぜ。ほんまかいな。2時間以上飛んで、粉ジュースと油の回ったピーナッツだけかい。
しかたない、今回の機内食、中華民航につけておく。いつか返せよ。

 でも一言、「中華民航の馬鹿野郎」
 ツケはまだ返してもらっていない。

 もう一つのトンでもないキャリアは大韓航空、時期は一九九七年くらいだったかな。韓国がバブルで潤っていた時。このミニバブルが原因でひどい目に遭ったのだけど。
 その時はシンガポールからソウルまでの便だった。飛行機が離陸して機体が安定した時、スチュワーデスが最初に始めたのが免税品の販売だった。飲み物も配らずに?
 バブルでお金に余裕のある韓国人の客たちは札束を頭上に振りかざし、スチュワーデスを呼ぶ。漫画みたいだけど本当の話。機内のほうが空港より安いのか、あるいは空港には十分に品物が無かったのか、延々と免税品の販売を続けるスチュワーデス達。ニコニコして。
 その時の私は原因不明の熱病を発症していた。「デング熱」と後でわかったのだが四十度を超える熱でふらふらだった。女房が水を頼むと。「チッ」と舌打ちをしたスチュワーデスは水を持ってくることは無かった。女房は直接配膳室に行き、小さな水のパックをもらってきた。それもカートが通路を占領しているのでとても時間がかかった。
 飛行時間の約五時間、延々と免税品の販売をし、機内食はおろか、飲み物も配ることの無い飛行機はソウルに着いた。どうなっててるの、大韓航空。
 何年か後、JALに勤めている人と話す機会があった時、聞いてみた。彼によると大韓航空のスチュワーデスは免税品の販売がボーナスに反映するらしい。にこにこしていたのはそのためか。
 JALは違いますよ、と彼は力説しておりました。



2006年7月15日(土)15:39 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

祭日

 中国のビザ、月曜日に申し込めば、今週中に取れると計算していたのだが、月曜と火曜日が祝日でした。残念。
 今日、申し込んで来ました。受け取りは月曜日。火曜日に昆明に飛びます。まあ、30日までにラサにたどり着けるでしょう。天候次第ですが。
 
 中華航空、値上がりしてますね。24000バーツ。あと一回往復すれば無料航空券がもらえるのだ。今回は我慢して買おう。
 タイ、昆明往復は45日フィックスで10170バーツ。こちらも値上がりです。TGなのでマイレージカードを作りました。



2006年7月12日(水)17:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

バンコクから

 昨日、着きました。名古屋で飲みすぎて睡眠不足で飛行機の中でも機内食意外は寝てました。でもサッカーは見ました。
半部寝てたけど、なぜかゴールのときは目覚めてました。不思議だ。
明日中国のビザを取りに行き、チケット屋めぐりかな。
今日はもちろんムーガッタです



2006年7月9日(日)14:09 | トラックバック(0) | コメント(2) | 旅行中 | 管理

明後日、バンコクです。

 明日、名古屋の友人宅、明後日、中華航空でバンコクに着きます。
 予定では昆明に飛行機で飛び、そこから陸路でラサを目指します。その後、カイラスに行く予定。
 たくさんお金tがかかるだろうけど、お金には変えられない経験でしょう。
 途中経過をこのブログで書きたいと思います。
 ご期待ください。

 中国は日本語が書けないネットカフェが多いのでローマ字になるかも。



2006年7月7日(金)01:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

思い出した

 きょうの「トレビア」を見ていて思い出した。

 まだ伊丹空港が国際空港だった頃の話だからかなり前のことだ。フライトの時間が昼過ぎだったので昼飯でもしょうかと、空港内のレストランに入った。私ら夫婦が何を頼んだか忘れたのだけど、店内にいるほとんどの人が頼んでいるのはサンドイッチかカレー、せいぜいカツ丼くらいだった。
 あ、思い出した。私らはビールを頼んだ。
 これから行く香港に思いをはせ、ビールを楽しんでいると、墨染め衣を着た四人が入ってきた。一人は五十歳くらい、他の三人は三十歳前後だろう。座ったすぐに、年長のじじいが言った。
 「ステーキとビール」
 店内に居る客、二十数人の目線が集中するのを無視して、あるいは感じずに、四人は墨染めの衣装を着たまま、ステーキを齧り、ビールをあおった。若い三人はさすがに少々恥ずかしそうではあったが。
 坊主、が肉や酒を楽しむなとは言わない。本当のところは、僧侶が肉食、飲酒、妻帯をするのはおかしい、少なくとも僧ではないと思っているのだけど、それは他の機会に書きたい。
 墨染めの衣装を着ていながら肉食飲酒をし、他の人からどう思われても平気な時点で、宗教者として終わりだと思う。隠れて肉食飲酒するのも問題だろうけど、少なくともかわいげがある。
 こんなおっさんが自分の檀家の前で偉そうに説教するんだろうなあ。
 写真を撮っておくのであった。残念。
 



2006年7月5日(水)23:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 宗教 | 管理


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