今日も旅天気
 
アジア大好き。共産党は大嫌い。
 



レジャー・旅行

カイラスへ6

 「そうです、これを這いずってでも登らなければコルラは完成しないのです。馬に乗って登ってもいいが、それではコルラが完成したとは他人に言えないでしょう。がんばって自分の足で登りましょう」
 とガイドブックにでも書かれていそうだけど、実際、馬にでも乗りたかった。何度も書くようだけど経験した者にしかわからない苦しさだ。

 苦しみながら歩き、テントを出発してから約四時間で私達は峠に立つことができた。ドルマラ(峠の名前、標高約五千七百メートル)は風も無く優しく我々を迎えてくれた。景色はよく見えなかったけど。
 下山を開始して、しばらくは快適な下りだったのだのだが、最初のテントで休んでいる時、天候が悪化した。雹を含む激しい風雨に正面から数時間打ちのめされた。登りの時と反対だ。川下から吹き上げる雹に体中が凍え、襟元等からから雹の溶けた冷たい水が進入してくる。ああ、仏陀が我々に与えた試練なのか。辛かったなあ。
 二泊目の宿に着いて、ストーブの前に座った時、心から素晴らしいと思った。暖かい火に、ポーターに、文句も言わず歩いた四人の女性たちに。



2007年1月5日(金)01:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

カイラスへ5

 ベッドで横になったがなかなか寝ることができない。足が痺れて筋肉が痛む。指で軽くマッサージしてみる。気休めにしかならない、筋肉は固まったままだ。こんなことで明日は大丈夫かな、と思っているうちに寝てしまったようだ。疲れているので酷いイビキだっただろうなあ。ごめん、ごめん。
 翌日、足の疲れは残っていたが、思ったほどではない。それより激しいガスでカイラスの北面見ることができないのが残念だ。六年前に見た時は声も出ないほどに感激した。 
 朝一番からコルラ最大の難所、ドルマ・ラへの登りが始まった。ゆっくりと歩き始めたが、ガスで道がわからない。回りはミルクのように真っ白だ。前回来た時は天気も良く問題なく道が見えた。しかし今日はよくわからない。
 戸惑っているとポーターのおじさんが我々をリードしてくれる。ありがたい。彼が居なかったら、登るのにもっと時間がかかっただろうと思う。
 登り始めて一時間、何回目かの休憩をとった時、同じ場所に休んでいたインド人巡礼者夫婦の女性が尋ねてきた。
「あとどのくらいかかるのだろうか。一時間位か」
「二時間くらいですよ」
 私の女房が答えると、インド人女性はああ、と天をあおいだ。
でもこの登り、普通に歩いて四時間位かかる。彼らのペースだと五時間くらい、つまりあと四時間位かかってしまうだろう。女房に聞くと、
「四時間位かかるなんて言える訳ないでしょう」
 ごもっとも。
 この苦しい登り、最後に絶望的な急な登りがある。天気が良ければ予め覚悟ができるのだが、その日はガスのため絶望が寸前まで見えない、そしてそれが眺めた時、ほとんどの人が小さな悲鳴をもらし、ため息をつく。
「ドウシテモコレヲノボラナイトイケナイノデスカ」



2007年1月2日(火)01:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

カイラスへ4

 最初のゴンパ(チベット仏教のお寺)に着いたのは、十二時だった。二時間の予定を一時間近く越えている。これでは本日の宿泊予定である二番目のゴンパには今日中に着くことができないのではないか、そうなると全ての予定が狂ってしまう。お金も余分にかかってしまうだろう。
どうしましょうか、と相談し、五人の中でも特に疲れていた若い二人がポーターを雇うことになった。たまたま会った中国語の達者なチベット人運転手に通訳を頼み、本来なら一人一日八十元のポーター代を、彼女たち二人分の荷物は軽いので、二人百元でお願いすることになった。
 通訳をしてくれた運転手にお礼をしようとしたら、
「わしには必要ない。それより彼のポーターが気に入ったら、少しでもいい、チップをやってくれないか」
「もちろんそのつもりだよ」
「では、たのむ」
「本当、色々にありがとう」
 歩き出してしばらくすると雹を含む雨が降り出した。川の下流から吹き上げてくるような雨だ。背中とザックに当るだけなので特に辛くも、冷たくもない。こんな雨なら怖くないぞ、と思っていたが、翌日、とても辛い目に遭うことになる。
 途中にあるお茶テントで三時の休憩をとっていると日本の団体ツアーの人たちとここでも会った。彼らとは途中の町などで何回も顔を会わせている。とても高額のツアー料金を払って参加しているようだ。すでに数人が高山病で倒れたと言っていた。幸い、私たち五人はだれも高山病の症状は出ていない。
 ここからの登りがきつかった。足は鉛のように重く、肺はフイゴのようにぜいぜいと空気を吸い込み、吐き出す。数歩歩いては休み、もっと休みたいとの体の欲求を意思の力でねじ伏せる。今回が山歩き初めての二人にとっては素晴らしい経験になっただろう。意思の力の素晴らしさがわかったと思う。もう駄目だと思っても意思の力で足を前に出す。一歩、又一歩。
もう二度といや、と思っているに違いないけど。
 泊まる予定だったゴンパは橋が落ちて行けないので、テント村で宿泊することになった。一ベッド三十元。食事は専用のテントがあり。そこでお湯がもらえたので、ラサで買い込んでいたカップラーメンを食べる。けっこう美味い。最近の中国製のラーメンも美味くなったと思う。



2006年12月25日(月)01:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

香港にて

 少し前、今年の春節の頃、私ら夫婦は香港に居た。ゲストハウスにじっとしていても仕方が無い。でも特に観光名所を見ることの無い私ら夫婦は香港の町を歩くことが多かった。
 その時、前を六十歳くらいの日本人夫婦が歩いていた。その時の会話。
「なあ、吉野家で牛丼があったぞ。食べに行こう」
旦那が言う。その頃、日本の吉野家ではまだ牛丼が復活していなかった。
「何で香港まで来て吉野屋に行かなあかんねん」
嫁さんがかなり怒りながらご返事。旦那さんは黙り込んでしまった。
 後ろを歩いてた私達、
「うーん、どちらの気持ちもよくわかる」



2006年12月22日(金)01:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

カイラスへ3

 ラサからシュガツェまでは道路がいい。快適だ。始めの宿で日本人に会う。彼は日本の旅行会社のツアーに一人で参加して、私達とほぼ同じコースを行くようだ。一人で車やガイドを頼むと高くつくのだろうなあ。
さて、我々の予定ではカイラスに行く前にエベレストを見に行こう、やっぱり世界最高峰は見たい。昔、ネパール側から見たことはある。だから中国側からも見たい。
 しかし結果、天気は悪くどこからもその姿を拝むことはできなかった。山々は雲に覆われている。仕方がない、本来の目的であるカイラスを目指し、車に座り、食べて寝る数日間を過ごす。お尻が痛い数日間でもある。ただ風景が美しいので飽きることは無かった。日本では絶対に見ることができない景色だ。
 三日が過ぎた。座って美しい景色に歓声をあげ、写真を撮るだけの時間は終わった。カイラス山の麓の町に着いたのだ。カイラスコルラが明日から始まる。
チャータの車は時間的な余裕がない。本当はもっとゆっくりしたかったのだが、翌日にコルラを始めた。私たち夫婦にとっては二回目のコルラとなる。
 聖カイラス山、仏教、ヒンズー教、ボン教の聖地であるこの山の周囲、約五十キロを数日かけて歩く。
 河口慧海和尚も歩いている、最高海抜五千七百メートル、その時、空気の濃度は海抜ゼロの約半分だ。
 少々体がだるい。出発地のタルチェンという町がすでに海抜四千六百メートルもある。
 しかし歩き始めはけっこう快適だった。冗談も言えるような普通な山歩きだ。町外れから数頭の犬がどこまでも付いてくる。何か食べ物でももらえるとでも思っているのだろうか。うーん、コルラ(チベット仏教は時計回りで聖地を巡礼する)が終わって余っていたら魚肉ソーセージでもやるのだけど。   
 小さなタルチョのある峠を超える。チベット人は峠に旗をたなびかせるのが好きなようだ。実際は経典の書いてある布で、風が仏法を世界に広めてくれると信じられている。
 川筋に降りると、最近の雨のためか川が増水して、道がかなり悪い。足元が悪いと自分のペースで歩けないのでかなり疲れる。ほとんどに人はこの先まで車で来るので道はほとんど無い。



2006年12月22日(金)01:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

カイラスへ2

 チベット冒険の旅、いいなあ、俺も行ってみたい、かっこいい、写真やビデオを見た一部の友人達は言う。でも実際はけっこう激しく揺れる車の中でお尻と腰の痛みを我慢し、高山病になったらやだなあ、と怯える、あまりかっこよくない旅である。その上に山歩きが加わると、うまくも無い食べ物を我慢しながら食べ、泥まみれで、風雨、雹や強風に耐え、上り坂で筋肉は悲鳴を上げる。下りは膝ががくがくし、薄い空気に酸欠の金魚のようの口をぱくぱくする。やっぱり絶対かっこよくない。
 時に考える。俺たちはなぜここに居るのだろう。家でソファーに座り、ビールでも片手にテレビでチベットの特集番組でも見ていれば、楽にそこに行った気になれるかもしれないのに。

 テレビのドキュメンタリーではトイレの話がほとんど出てこない。これが一番の問題なのになあ、少なくとも女性にとっては。
 チベットの高地には木はほとんど生えてない。草は生えているが羊やヤクが食べてしまっている。平原には隠れる段差もほとんど無い。結局、数十センチの段差を利用して用を足さねばならない。その段差もない時は「すいません。おしっこをするので向こうを向いていてくれませんか」と同行者に頼むことになる。そしてたとえトイレがあっても外でしゃがんだほうがましのような激しく汚いトイレも多い。というかそれが普通だけどね。
 まあ。とにかく旅は始まった。大枚をはたいているのだからできるだけ楽しく過ごそう。食事は値段を気にせず本当においしそうなものだけを選ぶようにした。はじめはニーマにチベットでの美味しそうなメニューを聞こうとしたのだが、彼は中華料理をよく知らないと言う。本当のところは中国のことなど知りたくないようだ。チベット人なら当然なのだろうか。  
始めてチベットに来た六年前、中国人が好きなものは絶対に食べないというチベット人に会ったことがある。彼は豚肉に箸をつけなかった。



2006年12月16日(土)01:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

カイラスへ1

 私たちの車を追い越した四輪駆動車は水溜りの泥水を激しく撒き散らし、一瞬、フロントガラスが泥水に覆われ、前方が見えなくなった。
運転手のニーマは軽く舌打ちしてつぶやいた。
「この悪路をこんな激しいスピードで走ったら、いずれ事故を起こすか、車が壊れてしまうよ。日本の車でもね」
 確かに故障車は多かった。ただ故障は私達の車でもあったので、これは仕方ないだろうと思う。道は確かに悪いのだ。しかし安全運転することはできる。
実際、帰り道、自損事故でフロントガラスにでも突っ込んだのだろうか、
「誰か病院に連れて行ってくれ」と叫んでいる雲南ナンバーの車から這い出してきた、血だらけのゆがんだ顔の中国人の若者を見た時は、かなりびびった。ニーマの安全運転は私たちにはありがたかった。
 私たちの乗っている車ももちろん四輪駆動車だ。荒々しい自然の残るこの西チベットでは本当に信頼できる車しか走ることができない。この地ではトヨタのランドクルーザーが九割以上を占めている。同じ車種ばかりだと、故障の時に部品の供給が比較的容易なことも理由の一つだろうが、もちろんそれだけではない。古い話だがリビアのカダフィ大佐も絶賛した荒地での性能のよさ、だろう。中国や韓国の車はチベットの大地を走る力はまだ無いようだ。
 ニーマはチベット人だ。年齢は聞かなかった。特に理由は無い。たぶん四十代だろうと思って聞かなかった。でも実際はもっと年をとっているように見える。チベットの激しい自然が彼を実際より年上に見せているのかもしれない。推測だから本当のところはわからないけどね。他のツアー運転手は三十歳前後の者が多い。そして若さゆえにアクセルを踏む足に力が入り、事故を起すのは世界共通だ。
 私たち日本人は五人、私と女房、ラサで待ち合わせをした友人、そしてラサのホテルの張り紙で集まった若い女性二人。男一人と女四人の即席チーム、カイラス目指して行動を共にすることになった。
 ニーマは年相応に少しお腹の出たチベッタンだ。中国語が少し話せる。口数が少なく、行動で示すタイプのようだ。



2006年12月15日(金)01:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

笑った

http://www.youtube.com/watch?v=EnFaLgwonh0
旅行人に貼ってました。面白い。時期的にも。



2006年11月16日(木)00:30 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

美味しい

 それは豚の脳みそです。初めて食ったのは四川の成都、たしか1990年でした。知り合った中国人に勧められ、鍋に投入された物を味見しました。びっくりするおいしさです。こんなに旨い物は食べたこと無いのではないか。
嫁が聞きます。「おいしい?」
 私はほんの短い時間ですが考えました。不味いと答えたらこのうまい脳みそを全部食べることができます。でも将来、きっとばれるでしょう。十秒ほど悩んだ後、答えました。
 「おいしいよ」
 でも豚の脳みそは少しでも古くなるととても不味いので注意が必要です。



2006年11月13日(月)01:42 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

アメリカで

 今から20年前、アメリカを車を運転して旅したことがある。アメリカの旅は楽しかった。
 ある日、映画で有名になったデビルスタワーを見に行こうと、ワイオミングの田舎道を走っていた。平原は単調で特に面白いドライブではない。眠くならないように、ラジオの音を大きくかけ、平原の道を走った。
 ふと、バックミラーを見るとバイクの集団が後ろから差を詰めてくる。大きなバイクにまたがり、体も大きな白人ばかりのバイク50台くらいの集団だ。ヘルスエンジェルのようだ。よく知らんけど。
 追い越すが楽なように道の端により、心持スピードを落とした。しかし、バイク集団は私らの乗ってる車のところでスピードを落とし、それどころか止まれの合図をするではないか。なんだ、なぜ止まらなければいかないんだ。こちらわしらが黄色人種だからリンチでもするつもりなのか。やつらはKKK団か。
 しぶしぶ止まることにした。田舎の道とはいえ多少の車は走っている。昼間からひどいことはしないだろう。
 車が止まると、バイク集団も止まった。根性を出して車のドアを開け「What 」と聞くと、車の屋根を指差して何か言っている。そちらを見ると、なんと車の屋根に鍵が載っている。仲間の一人がうっかり置いて忘れていたようだ。
 「ありがとう」と言うと「OK]と言ってバイク集団は走り去って行きました。 
 人を外見で判断してはいけません。



2006年10月10日(火)03:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

西チベット2

 このあたりは素晴らし風景なのだろうけど雲で見ることができない。さすがに湖は見ることができたけど。
 途中の川でバスが動かなくなっていた。乗客が膝まで冷たい水に浸かり、岩を積んだり、押したりしているが、バスはびくともしない。その横をランクルはするすると走っていく。申し訳ない。
 運転手は道を間違え、1時間ほど遅れて夕方に着いた町、サガは6年前に比べ、少し大きくなっている。驚いたの西遊旅行の団体が我々と同じ宿に止まっていること。もっとトイレの綺麗ないいホテルもあるのに。高そうなホテルにはインド人の団体が入っていった。
 シャワー屋があり、そこの経営者は雲南省から来たと言っていた。ネット屋もあったが満員なのでやめた。そのすぐ後に大雨になった。道は雨が降ったらもっと悲惨なことになるので、雨はうれしくない。
 あとで聞くと、レチェからサガ間が一番道が悪いらしい。ある日本人はこの間に3日かかったらしい。
 



2006年9月21日(木)01:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

朗報

外国人がチベット自治区に入域する際には、旅行代理店を通じて、許可証(入蔵証)を取得することが求められていました。
7月に青蔵鉄道が開通した際には、年内にはこの許可証を廃止するとの意向がチベット自治区の政府高官から示されていました。

で、9/12に、チベット自治区の武継烈副主席が、ラサを訪問中の外国人メディアに対して、

・中国政府は、外国人がチベット自治区入域の際に必要であった許可証は、10月1日より必要としないこととする。

・チベット自治区政府は、自治区内の旅行制限を廃止し、観光のために開放地域を増やすことにする。



素晴らしい。これからチベットの旅が楽になりますね。



2006年9月15日(金)20:29 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

いいかげんにしろ大韓航空

 海外に旅する場合、最近はほとんど飛行機を利用する。当たり前である。日本の場合、他に船以外の選択肢は無く、船を利用するのは暇も金もある人たちか、暇はあるが金に苦しんでいる者達だろう。後者の場合、中国に行くのに船を利用して費用を抑えることができる。ただ最近は昔ほどのメリットは無くなったけどね。航空券が安くなったから。
 その飛行機で苦労した話を二つほどしたい。最初の話はもう二十年近く前の西安から広州に行った時のこと。当時の中国は国内線でも2時間前に来い、と要求していた。飛行機の出発は六時半、真っ暗なうちから前日に頼んでおいたタクシーに乗り、飛行場に着いた。手続きはすぐに終わり、待合室でぼけっと待っていた。
 当時の西安の空港は今より町に近く、朝は霧のかかることの多い空港だった。案の定空港は深い霧の中にあり、飛行機はいつまでたっても飛ばない。八時、九時、飛ばんぞ。お腹はぺこぺこだ。機内食を食べることができるだろうと朝は何も食べていない。
 十二時頃、カートに入ったパンを服務員が押してきた。ああ、ありがたい、一つを手に取ると服務員は言った「二元」。ふざけるな、同じものが町では五毛だ、4分の1だぞ、ひどい話だ。しかし「いらんわい」とパンをカートに叩きつけるしか抗議の方法が無い。
 飛行機が離陸したのは二時を超えていた。ああ、これで機内食を食べることができる。うれしいな。あ、ピーナッツとオレンジジュースを配っているぞ。ジュースはかなり粉っぽいけどまあ、ここは中国しかたない。機内食はいつかな♪なかなか始まらないな  あ、カーテンがレールからちぎれてぶら下がっている奥は配膳室かな。上下、地味な服を着たスチュワーデス、もとい服務員、おばさんばかりだな。まあ、機内食さえ配ってくれたら誰でもいいよ。
 遅いなあ、あ、飛行機が下降を始めたぞ。あれ見えるは広州かな。初めて見るけど、空腹で目がかすんでよく見えないよ。
 ああ、広州に着いちまったぜ。ほんまかいな。2時間以上飛んで、粉ジュースと油の回ったピーナッツだけかい。
しかたない、今回の機内食、中華民航につけておく。いつか返せよ。

 でも一言、「中華民航の馬鹿野郎」
 ツケはまだ返してもらっていない。

 もう一つのトンでもないキャリアは大韓航空、時期は一九九七年くらいだったかな。韓国がバブルで潤っていた時。このミニバブルが原因でひどい目に遭ったのだけど。
 その時はシンガポールからソウルまでの便だった。飛行機が離陸して機体が安定した時、スチュワーデスが最初に始めたのが免税品の販売だった。飲み物も配らずに?
 バブルでお金に余裕のある韓国人の客たちは札束を頭上に振りかざし、スチュワーデスを呼ぶ。漫画みたいだけど本当の話。機内のほうが空港より安いのか、あるいは空港には十分に品物が無かったのか、延々と免税品の販売を続けるスチュワーデス達。ニコニコして。
 その時の私は原因不明の熱病を発症していた。「デング熱」と後でわかったのだが四十度を超える熱でふらふらだった。女房が水を頼むと。「チッ」と舌打ちをしたスチュワーデスは水を持ってくることは無かった。女房は直接配膳室に行き、小さな水のパックをもらってきた。それもカートが通路を占領しているのでとても時間がかかった。
 飛行時間の約五時間、延々と免税品の販売をし、機内食はおろか、飲み物も配ることの無い飛行機はソウルに着いた。どうなっててるの、大韓航空。
 何年か後、JALに勤めている人と話す機会があった時、聞いてみた。彼によると大韓航空のスチュワーデスは免税品の販売がボーナスに反映するらしい。にこにこしていたのはそのためか。
 JALは違いますよ、と彼は力説しておりました。



2006年7月15日(土)15:39 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

明後日、バンコクです。

 明日、名古屋の友人宅、明後日、中華航空でバンコクに着きます。
 予定では昆明に飛行機で飛び、そこから陸路でラサを目指します。その後、カイラスに行く予定。
 たくさんお金tがかかるだろうけど、お金には変えられない経験でしょう。
 途中経過をこのブログで書きたいと思います。
 ご期待ください。

 中国は日本語が書けないネットカフェが多いのでローマ字になるかも。



2006年7月7日(金)01:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

発破、中国だね。

 昨日、思い出した。場所は中国。でも中国のどこかは全く思い出せない。女房に聞いても思い出せなかった。私らが行ったのだからウルムチか雲南だと思うのだけど。
 その時、10年以上前、中国のバスは性能が悪く、たいして急勾配でない道を真っ黒な煙を吐き出すわりにはのろのろと登っていた。ぜいぜいとエンジンが息切れをし、坂を登り切り、やっと視界が広がった。
 あれ、あの大岩の後ろになぜ人々が集まっているのだろう。皆、同じ場所に固まっている。二十人くらいるかな。何をしてるのかな、って言うか皆立ってるだけで何もしていない。
 突然、バスは轟音とともにが激しく揺れた。窓ガラスは割れるのではないかの激しさ。車体もぐらぐら揺れた。
 とっさに、音のしたほうを見てみると、どうやら発破をかけたようだ。かなり激しく煙があがり、岩もあたりに散乱している。
 幸い、私らの乗っていたバスは被害は無かったが、発破をかける時は道を通行禁止にして欲しいなあ。自分達だけ避難するなよ。中国らしいけど。
 でも運転手を含む乗客の誰も驚いていないのに、もっと驚いた。中国人は危機に鈍感なのか。よくあることなのか。



2006年6月26日(月)02:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

発破!

 思い出した。もう十年以上前のパキスタンでのこと。ギルギットからイスラマバードまでのバス、普通は20時間くらいかかるのだが(当時)、60時間かかってしまった。
 そのわけは、夏の雨季だったので道が崩れてしまったから。
 ギルギットを出て8時間ぐらいのところで道が無くなっていた。川沿いの道のなので崩れ落ちたようだ。バスの運転手が「一番近い村に戻り、道が直るまでその村で待ちます」と言う。まあ妥当な判断だろう。狭い道なので何度も切り返してバスは引き返した、が後ろの道が無くなっている。ほんの数十分の間に崩れ落ちたようだ。少しぞっとした。
 結局その場所でバスの座席に座って夜を明かした。食べるものも無い。まあ私はダイエットにちょうどいいな、と思っていた。夜が明けたが雨は降り続いている。雨が降っている間は道路の補修は行われない。
 時間はどんどんたっていく。ああ、暇だな、傘をさしてそのあたりを散歩する。ついでにトイレも済ませよう。
 白人の有志が崩れた崖を越えて食料を買いに行った。私はダイエット中なのでお付き合いしなかった。あとでチャパティを手渡された時、ダイエット中だからいらないと言うのも恥ずかしいのでありがたく頂いた。
 夕方に雨が小降りになった。やっと人が出てきた。道を塞いだ大岩に発破をかけるようだ。
 最初の発破はしょぼかった。花火のよう。次のはかなりすごかった。でも大岩はびくともしない。
 近づいて見ていたら、パキスタン人の係員はにゃっと笑い、次は50キロだぜ、と親指を立てる。おお。素晴らしい。バスはぎりぎりまでバックし、人々もバスの後ろか中にに避難した。
 でもなかなか始まらない。私は飽きてきたのでそのあたりをぶらぶら散歩していた。と、突然の爆発。耳が痛いぞ、爆破する前に合図しろよ、まったく。
 百メートル以上離れたバスの窓ガラスがビリビリ震える。岩が飛んできた。私はロッククライミングをしていたので、こんな場合飛んでくる岩を見て避けたほうがいいとわかっていたので、右に左に避けた。
 避け終わって周りを見渡すと、さきほどまでそ辺りに居た旅人達が全く居ない。皆大慌で走って逃げたのだろうか。でもやっぱり私が正しかった。私にチャパチィをくれたオーストラリア人は腕に飛んできた石を受けてかなりの怪我。血が滴っている。
 芸は身を助けます。

 大岩は50キロの火薬にも負けず、知らん顔をしてまだ道に転がっていました。結局、岩を高巻いて歩いて越えました。
 バス代は半分返してくれたよ。



2006年6月22日(木)23:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

死ぬかと思った時

皆さん、雷は嫌いですか。まあ、普通の人は嫌いでしょうね。私は昔、岩登りをしていたことがあります。岩登りの最中に雷に遭うことがあります。逃げることができない、ただ岩にしがみついて祈るだけの本当に怖い瞬間です。体にカラビナ等の金属の道具をつけています。この道具類、どこか遠くに放り投げたいと思うのですが、もちろんそんな事はできません。そんなことをしたら雷の終わった後に登攀ができなくなって完全に命を失ってしまいます。この恐ろしい時間が過ぎ去るのを待つだけです。
 私は幸いにそれほど恐ろしい場面に出くわしたことは無いのですが、出会った人によるとすぐ近くの岩壁に雷が落ちて岩壁が震え、金属が青白く光ったそうです。何も無い岩壁に落ちて、なぜ金属のかたまりの登攀者に落ちないのか不思議だと言っていました。
「案外落ちないものだね」
 彼は笑いながら言いました。でもよく考えて見ればもし彼に雷が落ちていれば、ここにいるわけがない。はるか西方浄土にいるわけですから、案外落ちないかどうかはわからないわけです。

 私が雷で最も怖い思いをしたのはもう二十年近く前のグランドキャニオンでのことです。
 グランドキャニオンを下りコロラド川まで往復した時のことです。グランドキャニオンは渓谷の上にキャンプ場があります。そのキャンプ場は簡単に泊まることができます。予約は要りません。今はどうかは知りません。コロラド川の川岸にあるキャンプ場は予約が必要で、キャンプ場以外の場所でのキャンプは禁止されています。ただ日帰りならコロラド川まで行くことが可能です。
 でもここのハイキングは普通の山登りとは違い、後半に苦痛が待っています。山登りなら前半がんばれば、後半は急な下りで膝を痛めたり、滑って怪我をしたりしないように注意深く歩けば楽なものです。しかし渓谷の上から出発するハイキングは(登山ではないなあ)前半に比べ後半に苦痛が来るのであります。もちろんロバの背中に乗っての楽なツアーも用意されているのですが、そんなお金はありません。
 ガイドブックによればコロラド川までの往復に八時間かかるとありました。渓谷を見下ろす展望台(もちろん自然の物)に寄れば十二時間かかるらしい。でもせっかくだから両方行きたい。
 朝の六時に出発の予定で、出発したのは七時、下りなのでぐんぐん距離を伸ばし、九時半頃にコロラド川に着き、大休止を取りました。休んでいる時に女性の公園レインジャーがここには泊まれませんと言いにきました。今日中に上のキャンプ地に戻るつもりだと言うとにっこりと笑って手を振って歩み去りました。
 展望台にも寄って、さあ後は登るだけ、と渓谷のかなり平たい部分を歩いていた時、西のほうから真っ黒な雲がすごい勢いで近づいてきました。あ、夕立かなと思って雨具を出して準備をしていると5分ほどで豪雨になりました。もちろん雷の激しい音も聞こえます。谷と言っても日本と違い規模が大きいので本当に広くて隠れるところがほとんどありません。
 困ったなあ、と歩いているとすぐ右、たぶん数十メートル離れた何も無い場所に雷が落ちたのです。閃光と同時に石が弾け飛ぶのが見え、同時に耳がおかしくなるような轟音。あっ、と思ったら次は左に落ちた。次に落ちるのは絶対に俺の上だ、と思い、死に物狂いで走り、近くに偶然あった岩陰に身を隠し、もっていた金属類を10メートルほど離れた場所に放り投げた。怖いのなんの。この怖さは経験しないとわからないよ、本当。
 もちろん、雨と雷はすぐに東に行ってしまいました。



2006年6月16日(金)00:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

メーホンソン、続き

 水浴びに行ったときのこと。やっぱり男の子と女の子は離れた場所で遊びだした。私は当然男の子とプロレスごっこなどをして遊ぶ。投げ飛ばしても危なくない。楽しいね水遊びは。何歳になっても。
 女房によると女の子たちは首に巻いた真鍮の輪を草を使ってごしごしと掃除に余念がなかったらしい。やっぱり女の子のほうが大人になるのが早い。
 ちなみに、首を長くするのは本来はすべての女性がする必要がなく、生まれた日で決まったらしい。だから昔は首の長い女性のほうが少なかったらしい。でも今はお金になるのでほとんどすべての女性たちが首を伸ばす。
 首に付けている真鍮の輪、外したら首の骨が折れて死ぬ、と言われているらしいけど、うそ。外した位で死ぬほど人間の首はよわくありません。ただ長い首の上に顔が揺れているのは少々笑えます。
 この首輪、かなり重い。
 
 その水浴び場所の岸に生えているのは、お辞儀草だ。ああ、懐かしいなと触っていると、子供たちが騒ぎ出した。彼らはお辞儀草を知らないようだ。運転手のタイ人も知らなかった。なぜお辞儀をするのか、と聞いてきたので「この草は礼儀正しいのだ」と言っておいた。
 
 水浴びが終わったら村に戻る。他の観光客はもう帰ってしまったようだ。食事の時間になった。
 その前に防空壕に案内された。年に数回、ビルマ軍が越境して攻撃をしかけてくるので、銃声がしたらここに入るようにとのこと。ビルマ軍はなぜ攻撃をしかけてくるのだろう。軍隊に緊張感を持続さすためか。わからない。
 この村で男たちを見ないわけもその時説明された。彼ら男たちは昼間寝て、夜は歩哨に立つらしい。国境の村の緊張感。

 少女たちと一緒に食事をし、彼女たちの踊りを見て、安酒を飲み、夜は更けていった。これは本当に楽しかった。
 寝るのはは掘っ立て小屋での雑魚寝だ。夜中に体を這う昆虫には閉口した。少々気持ちが悪い。



2006年6月14日(水)01:35 | トラックバック(0) | コメント(1) | レジャー・旅行 | 管理

タイのメーホンソン

 数年前、タイのビルマ国境の僻地、メーホンソンに行ったことがある。当時は僻地割引で飛行機が片道千円ほどで乗ることができた。ちなみにバスでは六百円くらいで8時間かかってしまう。バスも飛行機もチエンマイから。今は僻地割引はないようだ。
 もちろん安いので予約が難しいし、有視界飛行なので天気が悪かったらすぐに欠航。天気のいい日にかかわらず飛ばないことがある。春先の焼畑の煙で視界が悪くなるためのようだ。

 偶然泊まったゲストハウスで秘密のツアーを募集していた。客が4人以上集まらないとツアーは中止になるので、何日か前から泊まっている日本人に誘われた。
 値段はけっこう高いが、本来なら外国人が絶対にできないツアー、長首族の村にホームステイする、というものだった。
 長首族、たまにテレビにやっているが、彼女らはもともとシャン族の一氏族、本来はビルマに住んでいるのだが、逃げてきていた。そして難民キャンプは国境の近くにあり、外国人がこの場所で夜を過ごしてはいけない。
 ゲストハウスのオーナーは長首族の世話をしており、顔が利くようだ。

 着いて入場料を600円ほど払い、難民村を見学する。粗末な藁葺き、ベニヤ板の小さな家が山の斜面に並んでいる。ポストカードなどを売っているこれまた小さな売店に首の長い少女が二人くらい並んで座っている。こちらを見るとにっこりと笑うが特にこれを買えのようなことは言わず、黙ってにこにこしている。彼女らはかなり美形だ。ビルマ人は混血がすすみ美形が多いが、彼女らもそうなのだろう。その上首にまく真鍮のためだろうか、小顔である。写真は自由に撮ることができる。もちろんその代わりに何かを買う。

 その村まで、ピックアップトラックで行ったので、子供たちを少し離れた川まで連れて行くことになった。この村の近くには水浴びのできる場所がない。子供たちの人数が多いので、2回に分けて行くことになった。第一陣、子供たちが乗り込んだ。皆、女の子達だ。男の子たちはおとなしく立っている。
 あれ、日本なら逆だろうに。オーナーに聞くと、この村で金を儲けているのは彼女たちがいるからだ。子供でもそれくらいのことはわかる、と言う。うーん、やっぱり金を稼ぐほうが偉いのか。



2006年6月7日(水)02:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | レジャー・旅行 | 管理

中国人の喧嘩

 中国を旅してると、中国人同士の喧嘩を見ることがある。面白いよ。日本人同士の喧嘩なら、相手は決まっている。野次馬は関係ない。
 ところが中国では野次馬が重要だ。中国の喧嘩では野次馬にできるだけアピールしたほうが勝つことが多い。
 一度見たのは、男が身分証を高く掲げ、「俺様はこんなに偉いのだ。だから俺のほうが正しいのだ」と野次馬にアピールしていた。
 この方法は暴力ざたにならなく良い、と言った女性がいたが俺はそうは思わない。
 そうだったら、見た目の悪い男は彼がいかに正しくても負けてしまうではないか。見た目の悪い私は許せない。



2006年6月2日(金)00:42 | トラックバック(0) | コメント(2) | レジャー・旅行 | 管理


(2/3ページ)
最初 1 >2< 3 最後