今日も旅天気
 
アジア大好き。共産党は大嫌い。
 



2006年7月28日を表示

東チベット3

 バスは六時四十分に出発した。朝早いほうが、乗客は皆緊張して朝寝坊する者は居ないようだ。薄暗かった朝の風景は輝きだした。しかし、景色を楽しむ者は少なく、ほとんどは眠っている。車掌まで空いた座席で眠っているではないか。他の取り巻き連中も眠ってしまった。かわいそうに運転手は話し相手も無くさびしげに運転している。
 風景は昨夜とあまり変わらず、いかにもチベットらしい景色だ。ネパールでもラダックでも四川でも、チベット人に住んでいる所は似ている。ただこのあたりのチベット家屋は伝統的な平屋根ではなく、並トタンを使った切妻屋根や寄棟屋根の家屋が多い。雨が多いのだろうか。
 バスは順調に走り、途中で北京からの旅行者を拾った。拾った場所は湖が広がり、その奥に雪山が見える美しい所だ。カナダのロッキー山脈に似ている。カナダのほうがもっと規模が大きい。
 北京から来た旅行者は生意気にもニコンのデジタル一眼レフカメラを持っている。彼女は私の前、バスのエンジンカバーの上に大股を広げて座り、写真を撮りだした。私は彼女が邪魔で写真を撮ることができない。でも人のことは気にしない中国人、こちらのことは全く気にせず写真を撮り続けている。天気も悪いし、ガラス越しに撮ってもいい写真は撮れないので、私は写真をあきらめた。
 運転手、顔は怖そうなのだが、とても親切だ。彼女がいい写真が撮れるように数回車を停めてやった。
昼前に波蜜に着いた。このあたりはチベットのスイスと呼ばれているらしい。確かに巣晴らし風景だが、ネパールやパキスタンには規模で負けるなあ。残念。スイスは行ったことが無いので比較できません。ただ波蜜の町は絶対にスイスより汚いのは間違いない。ここで昼食、牛肉面をいただく。六元なり。
波蜜の町を出てからもしばらくは同じような景色が続いた。道も舗装されていて快適だ。道はどんどん下っていく。標高二千メートルくらいで河に突き当たった。ここで乗客は橋を歩いて渡った。しかしそれほど弱そうな橋には見えなかった。
 この橋を渡ってからしばらくはとても細い川沿いの道を走る。崖がせりだし、未舗装で所々道が崩れている。雨の時は走りたくない道だ。雨が降ってなくても背中にじっとりと汗をかいた。
 一時間ほどでその道を抜け、舗装された安全な道になった。ぐんぐん高度を上げ、四千五百の峠を越え、下ってしばらく走り道を曲がった途端、目の前にビル群が立ち並んでいる。こんな僻地になぜ。町の名は林芝。近づいて見るとほとんどのビルはまだ建設中で、建設を終わったビルも人影が少ない。西部大開発のお金がこんな所に使われているのだろう。箱物を作りたがるのは日本も中国のお役人も同じのようだ。だいたい観光以外まともな産業も無いこの場所にビルを作っても誰が入居できるのだろうか。
 まだ六時過ぎなのに運転手は、今日はここまでと宣言した。乗客の一人がまだ明るいのでもっと先に進もうと言うと、「俺の目が限界だ」と運転手。見ると彼の両目は真っ赤に充血していた。
 宿代五十元、トイレ、シャワー付き。ただしお湯は出ない。部屋はまあ清潔。登記をしようとしたらその必要は無いと言われた。外国人だとわかっているのかな。
 食事は宿の隣でとることになった。ビールを頼むと隣の商店で買え、とのこと。久しぶりのビールが原価で飲める。食事はとても量が多く、ご飯を食べることができなかった。味は良。
翌日の出発は七時、六時に起きるので十時頃に寝ることにした。疲れているのと久しぶりのビールですぐに寝入ってしまった。
 翌日七時、遅れてくる人はいつも決まっている。昼食休憩の時、トイレ休憩の時、必ず遅れてくるのは波蜜から乗り込んできた四人組の上海人、遅れても少しも悪びれることもなく、態度はいつも傲慢だ。中国中で嫌われているのがよくわかる。
 林芝からラサまで道は完全に舗装されている。車が急に多くなった。観光のバスや四輪駆動車以外は材木を積んだ車が異様に多い。道のあちらこちらで材木の検査をする場所がある。不法伐採が多いのだろう。
 検問があったが、ここでも運転手が書類を見せたら問題なく通過。公安は外国人の取締りより材木の取締りのほうに忙しいようだ。
 ラサの手前で五千超の峠がある。運転手は親切で写真を撮れ、と車を停めてくれた。峠の標識の前で記念撮影をしているツアー客らしい中国人。後ろに待っている人が大勢いるのに気にせず構図を決めている。思わず言ってしまった。「快点」
雪が降ってきたので車に退散。ここでも相変わらず上海人はなかなか戻ってこない。
 峠を下った四時過ぎ、突然後ろに座っていたチベット人たちが騒ぎ出した。「ポタラ」「ポタラ」と。見ると小さくポタラ宮殿が見える。
 長かった四日の旅は終わった。

 でもこの先、二週間以上かかる聖カイラス山への旅が待っている。



2006年7月28日(金)16:07 | トラックバック(0) | コメント(3) | 旅行中 | 管理

東チベット2

 予想通り、ハエが顔にとまり、歩き回るいやな感覚で目が覚めた。「五月蝿い」というのはハエの羽音ではなくこの事を言うのではないかと思う。
 バスは九時過ぎに出発した。九時出発でも寝坊する人は居たようで、彼は寝ぼけ眼でバスを追いかけてきた。別にバスは彼を残して行こうとした訳ではなく、ターンしようとしただけなのだけど。
 川沿いの悪路をバスは走る。幸い、雨は止んでいた。道はブルが修理を終えたばかりのようで、道に落ちた岩に困ることも無く、陰気な道を走った。峠を越えたとたん、緑が目の前に広がった。灰色から緑色への鮮やかな交代だ。なぜ峠の南に緑が少ないのだろうか。謎である。
 モンゴルの場合は、山の北斜面にだけ木が生えている。それは激しい乾燥で、北側の斜面のみ残る雪の水分でようやく木が水を得ることができるから。しかしここは違うだろう。
 緑豊かな道をバスが走る。やがてぽつりぽつりと家が見え、しばらく走るとマルカムの街に着いた。時間は二時をまわっていた。遅い昼食だ。バス停に着くと大勢の人がバスを待っており、バスの乗車口に集まってきた。座席を取られたらかなわない。座席の上に水筒やビスケットの袋等を置いてバスから出た。二時過ぎなので飯屋はどこも休憩中だ。仕方なく小籠包を買う。5元なり。中国で小籠包といったら小さな蒸籠で蒸した包子のこと。スープは入っていません。ちなみにスープ入りの包子は「湯包」と言います。
 バスに戻ったら案の定、前から乗っている乗客と新たな客が座席でもめている。こんな場合は座ってしまった者の勝ち。私らの席は大丈夫だった。
 バスは三時半ごろマルカムを出た。新たな乗客の荷物の積み込みに時間がかかったから。席は満席になった。新たな客も半分は旅行者、半分は出稼ぎか、地元の人のようだ。
 マルカムを出てからはいい景色が続く。自転車で走ったら面白いだろうなあ、と思っていると、やっぱりいました、自転車野郎。聞くところによると世界のサイクリストの間でチベットを走るのは一つの憧れだという。景色もいいし、治安もいい、食料も手に入りやすい、確かに自転車にはいい所かも。
 素晴らしい景色を楽しんでいる間に車は高度を稼ぎ、五千ちょっとの峠を越えた。峠を越えたら景色が変わるのが楽しい。
 左貢に着いたのはもう暗くなりかけていた。そこから八宿まではこの旅行中、唯一景色を見ることができなかった。残念である。途中でチエックポストのようなところがあったが、人がいなかった。八宿に着いたのは深夜の一時半。出発は六時半。ベッドに寝転んだらすぐに朝になった。



2006年7月28日(金)16:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理

東チベットの旅1

非常に楽しかった旅でした。でもかなり疲れました。お尻が痛くてたまらないよ。

 香格里拉でチケットを買う時、売り場のおばさんが怪訝な顔をして「あなたらどこから来たのや」と尋ねてきた。「福建からだ」と答えたのだが、おばさんは疑わしそうな顔で「黙っていたらわからんなあ」とかつぶやきながらチケットを売ってくれた。ばれたのかな。
 出発の二日前に買ったチケットの席番号は一番と二番であった。

 当日、九時前にバス停に行く。雨が降っている。あまりよくない。悪路が多いので雨が降るとすぐに道は不通になる。やむ様子はない。宿の主人によると、塩井から上流の道はかなり悪くて、道がすぐに不通になるらしい。
 客は思ったより少なくて、十数人くらいだ。そのうち旅行者は半分くらい。後の半分はラサに働きにでも行く人々なのだろうか。
 時間通りにバスは出発した。運転手はチベット人だ。赤ら顔の少々怖い顔をしたおっさん。助手はまだ若い。彼もチベット人、彼は運転ができないようで、運転手は交代することがなかった。
 香格里拉を出て少し走ったら修理工場に入った。あれれ、と思ったら修理は三十分ほどで終了。長距離を走るので気になるバルブを閉めなおしたようだ。その後バスのトラブルは特には無かった。
 バスは普通に走って、途中の食堂で昼食をとり、四千超の峠を越え、徳欽に着いた。この町は十年ぶりだ。町はかなり大きくなっている。十年前に泊まった宿はもう無かった。
徳欽を出てすぐ、飛来寺の手前にチエックがあった。運転手の書類を検めたのと、学生のボランティアが車内に麻薬撲滅の小冊子を配っただけであった。
 徳欽から塩井までの道は川沿いの悪路を走る。緑も少なく、陰気な道だ。雨も激しくなってきた。その道を自転車で走っている者が七・八人居た。中国人のようだが日本人かもしれない。時間はもう八時を過ぎている。少々無謀だな、と思う。荷物は少なそうだ。テントを持っているのだろうか。たとえ持っていてもこのあたり、テントを張る場所も無い。次の村までは一時間以上かかるだろう。もうすでに薄暗くなりかかっている。
 九時前に上塩井で夕食。ここで泊まるのかと思ったら、運転手はあと百数十キロ走ると言う。マルカムまで走るのか。今日中にマルカムまで行けば後が楽になるなあ。
 真っ暗な川沿いの道を走り始めて二十分、道が崩れた土砂で塞がれている。バスはターンすることもできない細い道だ。真っ暗な道をバックで走るのも無理だろう。どうするのか、運転手は携帯電話を取り出して、何やら話している。客の一人が状況を聞くと「ブルドーザーを呼んだので、少し待て」と言う。「先に進むのか」と問うと「この先の道はもっと悪くなっているだろう。ブルが道を直したら、少し走ってターンのできる所があるので、今日は塩井に戻って泊まる」
 携帯電話でブルを呼ぶ、便利な時代になったものだ。

 ブルを待っている間も、崖から小石が絶えず落ちてくる。かなり恐ろしい。ブルは四十分ほどで到着。あっさり道を掃除してくれた。ターンして「納西郷」という町に戻ったのは十一時を過ぎていた。
 明日は何時に出発するのか。運転手は「どうせ道を修理するのに時間がかかるので九時にする」と言う。おお、ゆっくりと眠ることができるなあ。
 宿でまた一悶着、ベッド二十元、一部屋五十元の三ベッド部屋が高いと一部の乗客が騒ぎ出した。旅行者にとっては高い部屋ではないのだけど、出稼ぎに行く人々にとっては高いのだろう。その騒ぎを聞きながら五十元の部屋に入る。まあ、昔の中国を思い出させる素晴らしい部屋であった。トイレの便器は壊れて水が出ない。トイレのゴミ箱には前の宿泊客の汚物があふれている。便座は汚れていて座る気もしない。部屋はハエが多い。明るくなったらこいつらが目覚ましの代わりやなあ、と言いながら十二時頃就寝。



2006年7月28日(金)16:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理


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