東チベットの旅1 |
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| 非常に楽しかった旅でした。でもかなり疲れました。お尻が痛くてたまらないよ。
香格里拉でチケットを買う時、売り場のおばさんが怪訝な顔をして「あなたらどこから来たのや」と尋ねてきた。「福建からだ」と答えたのだが、おばさんは疑わしそうな顔で「黙っていたらわからんなあ」とかつぶやきながらチケットを売ってくれた。ばれたのかな。 出発の二日前に買ったチケットの席番号は一番と二番であった。
当日、九時前にバス停に行く。雨が降っている。あまりよくない。悪路が多いので雨が降るとすぐに道は不通になる。やむ様子はない。宿の主人によると、塩井から上流の道はかなり悪くて、道がすぐに不通になるらしい。 客は思ったより少なくて、十数人くらいだ。そのうち旅行者は半分くらい。後の半分はラサに働きにでも行く人々なのだろうか。 時間通りにバスは出発した。運転手はチベット人だ。赤ら顔の少々怖い顔をしたおっさん。助手はまだ若い。彼もチベット人、彼は運転ができないようで、運転手は交代することがなかった。 香格里拉を出て少し走ったら修理工場に入った。あれれ、と思ったら修理は三十分ほどで終了。長距離を走るので気になるバルブを閉めなおしたようだ。その後バスのトラブルは特には無かった。 バスは普通に走って、途中の食堂で昼食をとり、四千超の峠を越え、徳欽に着いた。この町は十年ぶりだ。町はかなり大きくなっている。十年前に泊まった宿はもう無かった。 徳欽を出てすぐ、飛来寺の手前にチエックがあった。運転手の書類を検めたのと、学生のボランティアが車内に麻薬撲滅の小冊子を配っただけであった。 徳欽から塩井までの道は川沿いの悪路を走る。緑も少なく、陰気な道だ。雨も激しくなってきた。その道を自転車で走っている者が七・八人居た。中国人のようだが日本人かもしれない。時間はもう八時を過ぎている。少々無謀だな、と思う。荷物は少なそうだ。テントを持っているのだろうか。たとえ持っていてもこのあたり、テントを張る場所も無い。次の村までは一時間以上かかるだろう。もうすでに薄暗くなりかかっている。 九時前に上塩井で夕食。ここで泊まるのかと思ったら、運転手はあと百数十キロ走ると言う。マルカムまで走るのか。今日中にマルカムまで行けば後が楽になるなあ。 真っ暗な川沿いの道を走り始めて二十分、道が崩れた土砂で塞がれている。バスはターンすることもできない細い道だ。真っ暗な道をバックで走るのも無理だろう。どうするのか、運転手は携帯電話を取り出して、何やら話している。客の一人が状況を聞くと「ブルドーザーを呼んだので、少し待て」と言う。「先に進むのか」と問うと「この先の道はもっと悪くなっているだろう。ブルが道を直したら、少し走ってターンのできる所があるので、今日は塩井に戻って泊まる」 携帯電話でブルを呼ぶ、便利な時代になったものだ。
ブルを待っている間も、崖から小石が絶えず落ちてくる。かなり恐ろしい。ブルは四十分ほどで到着。あっさり道を掃除してくれた。ターンして「納西郷」という町に戻ったのは十一時を過ぎていた。 明日は何時に出発するのか。運転手は「どうせ道を修理するのに時間がかかるので九時にする」と言う。おお、ゆっくりと眠ることができるなあ。 宿でまた一悶着、ベッド二十元、一部屋五十元の三ベッド部屋が高いと一部の乗客が騒ぎ出した。旅行者にとっては高い部屋ではないのだけど、出稼ぎに行く人々にとっては高いのだろう。その騒ぎを聞きながら五十元の部屋に入る。まあ、昔の中国を思い出させる素晴らしい部屋であった。トイレの便器は壊れて水が出ない。トイレのゴミ箱には前の宿泊客の汚物があふれている。便座は汚れていて座る気もしない。部屋はハエが多い。明るくなったらこいつらが目覚ましの代わりやなあ、と言いながら十二時頃就寝。
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2006年7月28日(金)16:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 旅行中 | 管理
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