今日も旅天気
 
アジア大好き。共産党は大嫌い。
 



危機一髪

 その時のことは今も鮮明に覚えている。人間の記憶とはどうなっているのでしょうね。使い古された表現ながら昨日の様に覚えています。それを思い出すたびに体が震え、喉が渇いてくる。あの危険な瞬間を乗り切ったのは全くの幸運だった。
 一九九六年の夏、私たち夫婦はメコン川に沿って自転車を走らせていた。メコンといっても中国内、雲南省を流れるメコン川、上流では僻地を流れる。チベット族やリス族等の多い地域だ。道はもちろん未舗装。大きな町(そのあたりでは)は町中だけ舗装している。車が来たら土ほこりで悲惨だが、当時は擦れ違う車も少なく、楽しい、しかし色々と少し辛い旅だった。
 田舎なのに食材に乏しく、でもなぜか肉は必ずあり、逆に野菜がほとんど無い。その中で青唐辛子は必ずあるので「青椒肉絲」は毎日食べた。雲南や四川の青椒肉絲はピーマンではなく青唐辛子を入れること普通だ。慣れたらおいしく、ピーマンでは物足りなくなる。ただ最近、四川でも都会ではピーマンを入れることも増えたので、必ず確認してね。
 中国では都会の飯店には数十種類の野菜があるのに、ここあたりは多くて3種類くらい。その野菜を炒めてもらう。たいていは白菜か、茄子。ある日のメニュー、青椒肉絲、麻婆茄子、白菜炒め。次の日、青椒肉絲、麻婆豆腐、キャベツ炒め。また次の日、青椒肉絲、茄子炒め、麻婆豆腐。青野菜が食べたかった。
 その日はメコンに沿った道をのんびりと走っていた。道はわずかな登りと降りを繰り返し、雨季でもありメコンは大河にふさわしい威容を誇り、その周りに点在する田畑、古い家屋、鮮やかな緑などが彩りを添えていた。かなり長いゆるやかな登りののち、一休みしようとうしろを走っているの女房を待っている、と一人の男が近づき何やら話しかけてきた。わからない、その時は中国語を習い始めて1年以上経っていたので、日常会話ならかなり聞き取れるようになっていたのだが。訛りがひどい。しかも彼は話し終えると、こちらが「再説一遍(もう一度言って)」と聞き返すまもなくきびすを返した。一体全体何だったのだろう、女房と顔を見合わせた。道はなだらかな下りになっている。ゆっくりと降りはじめた。その時我々の前を全力で走っている男がいる。中国人があんなに一所懸命に走るのを見たことがない、普通は考えられない。何かある。虫の知らせか、ふと左を向いてみると崖の中から煙が噴出している。同時に火薬の匂いもする。
「あ、発破をかけているな」
 うしろを振り向いて力一杯の大声で怒鳴った。
「走れ、全速力で走れ」
 同時に私も力いっぱいペダルを踏む。踏みながら後ろを振り返ると幸いなことに意思が通じたようで女房がすぐうしろを追走している。20メートルほど降ってほっとした瞬間、そしてちょうど私が再び振り向いた時、ポンという大きな音と共にに崖が破裂した。映画のような派手な音ではない。が映画のように人間の頭かそれより大きな石が十数メーターにわたって飛び散っているのを見てしまった。まるで映画「スタントマン」の一シーンのようだ。
 もし気づかずに坂道をのんびりと降っていたらどうなっていただろう。よくて重傷だ。中国の辺境だ、まともな医療機関もない。
 幸いなことに女房は爆発の瞬間を見ていない。オレはしばらくは悪夢にうなされた。女房はそんな夢を見ることがないようだ。まあ、よかったのだろう。




2010年8月1日(日)18:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 自転車 | 管理

コメントを書く
題 名
内 容
投稿者
URL
メール
オプション
スマイル文字の自動変換
プレビュー

確認コード    
画像と同じ内容を半角英数字で入力してください。
読みにくい場合はページをリロードしてください。
         
コメントはありません。


(1/1ページ)